場合によっては羽田に引き返すか、秋田空港に着陸するかもしれない、という条件付きで羽田空港をあとにしたときから、雪まみれの旅の方向性は決まっていたのだろう。思ったほど揺れることもなく庄内空港に到着すると、そこは一面の雪景色。新潮社の秋山洋也氏と山形大学農学部へと向かう。外気温は零度ぐらいだろうか。午後2時前に研究室に入り、江頭宏昌準教授に長いインタビュー。在来野菜によって地方をどう「つなげて」いくかを聞く。ホテルにチェックインしたのち、電車で酒田を目指そうとするも、新潟が大雪のため列車は大幅な遅延、30分以上駅で待つことに。待合室が地元の高校生たちで溢れかえる。ようやく酒田の「鈴政」に辿り着いたものの、長い間海が時化ていてやはり地物はほとんど入っていないとのことで、ネタケースにも夏のような活気がない。でも、無理矢理築地から引っ張ってくるよりは、地物を尊重し、「時化でネタがない」と言われる方が気分がいい。少ないながらも、地物の生タコやタラ、ノドグロなどをいただく。鶴岡に戻れなくなると困るので、早々に切り上げ、昭和通りのスナックで少し飲んで、ホテルに戻る。
 翌日の午後、吹雪の中、余目経由で狩川駅に向かう。
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↑ここは有人駅で雪もまだ浅かったのだが…

最早、電車が定時に走るものだという気がしない。遅れは当たり前である。逆にこんな激しい雪の中でも、交通機関が機能しているのが不思議なくらいだ。約束の時間を大幅に過ぎて、山澤清氏の研究所に到着。庄内を訪ねるとどうしてもここに寄らずにはいられない。一個人がこれだけの研究所を回していることだけで、感動的である。以前にも書いたけれど、山澤さんは実に多様な商品を開発していて、途上だけれども世間をあっと言わすような研究も数多く抱えている。最近ではついに大手広告代理店も山澤さんに目をつけ、やってきたらしい。天花粉、和辛子などの開発研究の進捗具合を2時間以上にわたってうかがい、裏の実験場で川海苔の再生実験の様子などを見せていただいて辞去。
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キカラスウリの実

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(ホンモノの)和辛子の種

ここ陸羽西線では1時間半に一本程度しか電車は走っていないので、タイミングを逃すとえらいことになる。しかも、雪は一層ひどくなり、ほぼ吹雪と言ってもさし支えないような降りっぷりである。野ざらしのプラットホームには雪が積もり、もはや通路との境も見えない。外には1分と立っていられないような状況だから、駅の待合室で待つしかない。問題は、電車が入ってきたときにホームまで行くことができるかどうかだった。無人駅の上、遅延を知らせる電光掲示もない。駅前にはもちろんタクシーもいない。乗客は私たち2人だけ。つまり、電車を逃したら我々2人は、1時間半に渡って、またこの暖房もない無人駅にとどまらなければならないのだ。耳をすませ、いつ来るともわからぬ電車の到着を待つ。定刻から10数分が過ぎたとき、電車が滑り込んできた。転ばぬように細心の注意を払いながら全力で走る我々。いや、雪国で暮らすということは、こういう不便さの連続なのだと思った。結局、この日、庄内に戻ってくるはずだったアル・ケッチァーノの奥田さんは、飛行機が欠航し、帰れずだったが、
私たちは、格段に腕を上げていた土田学シェフの料理を堪能したのだった。DSC00049.JPG
この日、日本海側は、26年ぶりの大雪だったらしい。地元の人も音を上げるぐらいの雪だったのだ。
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 雪の洗礼は翌日も続き、私たちは、予定していた飛行機をキャンセルし、庄内から山形までバスで移動(このバスがまた大問題だったのだけれど、これを書くと膨大な量になってしまうので割愛)、新幹線に乗って東京に戻ってきたのだった。新宿駅からタクシーに乗ったときの感覚は実に奇妙だった。スリップして交差点に突っ込みそうになるクルマをコントロールすることもなく、白くない道をごく当たり前に飛ばしていくクルマの群れがすごく不思議に映ったのである。
2010-02-08 00:00 この記事だけ表示
 週末、銀座「サンダンデロ」にて、30数名でディナー。奥田政行シェフの料理に舌鼓をうつ。相変わらずの挑戦的かつ深遠なる皿の数々。ソースを捨て、常識を捨て、在来作物の心を取り、我々の味覚と想像力を試す皿である。つまりそれは、万人受けするとは限らない料理ということでもある。一般に塩と油とコゲと旨味を合わせれば、美味しいと言われる料理になるわけだが、奥田シェフはあえてそれを禁じ手とする。あるいは極端に弱める。だから、ふだん、そのすべてを合わせ持つガツンとしたイタリアンを食べている人には物足りなかったりする。私は、それはそれで当然だと思う。それこそ美味しいイタリアンなんて五万とあるのだから、口に合った料理をそれぞれが探し求め、行き着けばいいのだ。そのとき体が欲する料理を求めて店を選び、気に入った店に通えばいいのである。ところが、いまのネット社会は、自分の口に合わないとなるとその未熟な舌あるいは鈍い感性を棚に上げて、いとも簡単に腐す。狭い視野でまことしやかに語る。奥田シェフはどうしても高みを目指してしまうから、理解されないところもあるし、あまりにも有名になりすぎて、最大公約数的な美味しさを求めてくる人とのズレがでてきてしまったというところもあるのだと思う。禁じ手をなくし、よりわかりやすいものをという思いがふっと浮かんだりすることもあるかもしれないが、奥田シェフには万人に受ける料理など目指してほしくない。ありきたりの場所に落ちていってほしくない。私は、ただただ奥田さんの奇想に富んだ皿が好きなのだ。皿の上の狂気が好きなのである。奥田シェフが「サンダンデロ」で腕をふるうのは、とりあえず、6月8日頃までの予定。その後は庄内と行き来しながら、ということになる。
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 山形・庄内地方を5泊6日でまわっていて、昨日帰京した。農家の方々を訪ね、深山に入り、職人と語り、庄内の滋味を満喫した日々。…いろいろ考えさせられた。途中、たまたま酒田市で小澤征爾さんのコンサートがあり、奥田政行シェフ夫妻とともに出かけ、久しぶりにお会いし、聴くこともできた。この6日間の出会いと刺激は、いずれ何らかの形で発表できると思う。
 さて、これから半年ほどは、新しいメディアに挑戦し、それをまとめる作業に没頭しなければならない。本も年内に数冊。気持ち新たに前に向かって進んでいこうと思う。欠かさず本欄に目を通してくださっている編集者の方々、熱心に読んでくれている友人、そして善良なる見知らぬ諸賢、今後ともご指導ご鞭撻どうぞよろしくお願い致します。再びよき報告ができるよう、奮闘します。A presto.

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アル・ケッチァーノ

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25ヘクタールの専業農家井上さんの田植え

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カラドリイモの坪池さん、こぐれひでこさんとスナップエンドウのハウスへ

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酒田市にある「鈴政」。庄内浜でとれた魚が並ぶ
 早朝、奥田シェフの原点となった竹林で撮影。壁にぶつかったときに訪れ、再び立ち上がるきっかけをつかんだ場所だ。画像 057-2.jpg雪が数十a積もっている。不思議と撮影の半時間、空から雲が消える。金峰山が青空に白く浮かび上がる。奥田シェフといったん別れ、最上川へと向かうが、今度は一転、吹雪に。夕方、地元の農家の集いがイルケッチァーノで開かれることを知り、帰京の便を一便遅らせる。30名ほどの生産者が集結し、無農薬農法の「植酸栽培」の講義を講師から聞く。奥田シェフは講義の傍らで農家の方々が持ち込んだ野菜を使って料理の準備に余念がない。講義のあと農家の方々に出す料理だ。庄内の農家がアルケッチァーノを軸にまとまっていこうとするムーブメントを目の当たりにする。それにしても、奥田シェフの庄内への献身的な姿には頭が下がる。夕方、こんな無償の大作業をやっていながら、6時すぎにはいつものようにお客さんがやってきて料理を提供するのだ。夜帰京し、友人たちと自宅にて食事会。
 昼の便で「文藝春秋」の今泉博史氏と山元茂樹氏とともに庄内に入る。昨年来続けている「文藝春秋」のグラビア撮影。春夏秋冬で激しく姿を変えていく庄内とアルケッチァーノの料理を切り取るのが目的での冬篇。気温は0度。雪に覆われた庄内はまた美しい。庄内の案内人河井健次さんとともに漁港、岩のり漁師、ワッツワッツファームなどを訪ねる。その間にも天気がめまぐるしく変わる。雲が切れたかと思うと、横なぐりの雪が吹きつけたり。冬の庄内の空は、まったく読めない。ときどき自転車に乗っている高校生とすれ違いはするものの道路を歩いている人は皆無と言っていい。四輪駆動のクルマなしでは生活が成り立たないわけだが、クルマの運転ができない老人は暮らしにくいだろうな、と思う。夜は、鱈を軸にしたお料理の数々。由良港にも鱈がたくさんあがっていた。生と茹でた2種の白子を乗せた絶妙パスタに一同で卒倒する。前回もそうだが、アルケッチァーノには3人ぐらいで訪れるのがベストなのかもしれない。奥田シェフの料理がさらに一段アップする気がする。春菊と牡蠣のスープ、鱈のフォアグラ風などその場で閃いたお料理が次々とテーブルに運ばれ、我々はそのたびに絶句することに。
 また一週間が過ぎた。早い早いと言っても仕方ないがやはり早すぎる。月曜日は、札幌でコンサドーレ札幌の三浦俊也監督のインタビュー、水曜日、木曜日、金曜日は庄内にいて、金曜日の夕方品川経由で京都に入り、土曜日午後帰京という慌ただしさ。そして、「BRIO」、「Sabra」、「PLAYBOY」、「Papyrus」の4本の締め切りをこなした。もっとも、庄内は、仕事ではなく、友人と「アルケッチァーノ」へと行ったわけだが。それにしても今年は結局、計8回も庄内へと足を運んだことになる。完全に病の域である。けれども、毎月毎月、庄内が見せる顔、奥田シェフの出す皿が変化するのだから逃れようもない。とりわけ今回は、その料理に打ちのめされ、一緒に行った友人とその後も幾度となく振り返ることとなった。奥田シェフは、「旨味、焦げ目、塩、油」を一緒に使うことはしない。この4つを使えば料理が旨くなるのは明らかなわけだが(実際美味しいと言われる店はこれを多用し客に充足感を与える)。奥田シェフは、素材重視ゆえ、あえて自身に足枷を課しているのだ。だから、他のイタリアンと旨い、不味いと比べて論じてもあまり意味がない。奥田シェフは、料理人であると同時に、「庄内の大地と野菜の翻訳者」でもあるわけだ。次回の訪問は1月。その日がいまから待ち遠しい。
 昼前に家を出て、伊勢丹新宿店へ。地下のキッチンステージで奥田政行シェフのランチをとる。2100円のワンプレートに庄内を表現するという試みだが、シェフ自らが言う通り、この限られた環境ではなかなか思い通りにはいかない。スタッフは「アル・ケッチァーノ」の方ではないし、持ち込める食材も限られている。そして何よりも庄内の空気がそこにはない。それでも、シェフは、ハタハタと赤ネギのような万人受けするとは思えない料理を挑戦的に用意してきた。ステージの上でシェフは、出来うる限りの最上の仕事をこなそうとしていた。そんな中、私にとっては大きな収穫が。オープンキッチンゆえ、シェフの一挙手一投足をじっくりと見ることができたのだ。食べ終わると、正午前だというのに早くも長蛇の列。庄内には行けないものの、奥田シェフの料理を食べたいと思っている人は多いのだ。野菜売り場の庄内コーナーで藤沢カブを買い、外苑前で地下鉄を降り、表参道〜代官山〜松濤と渋谷区内を久々に歩く。夜、シャンパンカフェの宮崎賢氏らと「大木戸矢部」へ。蕎麦を堪能する。
 朝、雨の中、奥田シェフといくつかの仕入れ先を足早に回る。ものすごいスピードで畑や産直店へと移動するシェフを必死に追走する。昼、「イル・ケッチァーノ」で赤イカを使ったお料理を4種いただく。望外の幸せ。昼の便で帰京。
 08年の目標立つ。
 昼の便で「文藝春秋」の今泉博史氏、山元茂樹カメラマンと庄内に入る。途中、蒲田駅で乗り換えの際に奥田政行シェフより電話が入り、「鳥海山と月山が綺麗に見えているので、来る途中撮ってきてください」と言われる。庄内はめったにない秋晴れらしい。のちに、我々はこの日を取材日に選んだ偶然を喜ぶことになる。実は、この日が今年最後の秋の1日だったのだ。晩秋の空に浮かぶ鳥海山と月山DSC00637-2.JPGを拝んだあと、奥田シェフと魚の供養塔、由良港などを回る。闇に沈みゆく庄内浜越しの鳥海山にみとれてしまう。そして夜、いつものように庄内を食い尽くす。「スモークしたイワナとヒラメのテリーヌ」、「甘鯛の松笠焼きとカブのリゾット」などを卒倒しそうになりながら食う。雲一つなかった庄内上空は一転して雲に覆われ、嵐の様相。庄内、冬に入る。
 気がつけば早11月。これまで20日間もブログを書かなかったことは一度もなかったが、いろいろと立て込んでいてついにこんな事態になってしまった。この20日間にいくつかの締め切りがあり、不愉快な思いをする出来事もあり(半分以上は引き受けてしまった私に責任があるわけだが)、小林武史氏、佐野元春氏、ウェイトリフティングの三宅宏美選手といった素敵な人々のインタビューがあり、さらには旅もありと、まあ、慌ただしい日が続いていたわけである。と書きながら、実はたったいまも締め切りの真っ最中で、ブログを書いている場合ではないわけだが、「一応、私、生きてます」という証のために記している。1日からは上海に植樹取材に行っていた。DSC00412-2.JPGこれも詳細を書きたいところだが、いまはその時間がない。簡単に言えば、植樹祭自体は歪なイベントだった。それに関連して、中国という国が様々な問題を内包していることも改めて実感した。オリンピックはやはり北京でやるべきではなかったのだろう。どんなに華やかな大会になったとしても、闇の部分があまりにも大きすぎる。DSC00437-2.JPGただ、上海の3日間は植樹の仲間たち(まじぇる会)との交流もあって、それなりに楽しくはあった。
 上海から戻ってきて数時間後の早朝、私は羽田にいた。庄内の食ツアーである。これも詳細を記すととてつもなく長くなってしまうので割愛する。老若男女13名の仲間たちDSC00534-2.JPGとの旅は、楽しく、気持ちも解放された。奥田シェフ、中澤親方という2人の巨匠DSC00597-2.JPGに囲まれた贅沢な食の旅である。庄内の食材を腹に収め、自然を満喫した旅については、ちょっと余裕ができたときに、改めて書きたいと思う。本当に、他にも書きたいこと、訴えたいことは山ほどあるのだが。本日は、まずは簡易報告まで。
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 滅茶苦茶になりつつあるスケジュールの合間にオアシスの1日。早朝の便で講談社の小柳津純氏、カメラマンの中山達也氏と庄内「アル・ケッチァーノ」へ。取材で訪れるのは既に3回目ということになるが、毎回新鮮な驚きがあり、やめられない。今回もまた撮影があり、奥田政行シェフに産地やら採取地(?)をご案内いただく。DSC00302-2.JPG採れる作物も季節ごとに変わっていき、その度にここ庄内の大地の力を感じさせられる。たとえば、本日向かった山中の藤沢カブの畑。こんなところに本当に畑があるのかという急斜面を藤沢カブが覆う。昭和の終わりに一度は絶えそうになった藤沢カブだが、ひとりの老婆がなくしてはならぬと、栽培を続け、蘇った。DSC00296-2.JPG鶴岡には「本長」という老舗の漬け物屋さんがあって、ここの社長がこの藤沢カブを漬け物の材料にし始めたことで、採算もとれるようになった。庄内には、こうした在来作物がいくつもあり、それがまた「アル・ケッチァーノ」の一つの原動力となっている。その後、イチジク、栗、クルミ、バジルなどの畑や市場をシェフとともに忙しく駆け回る。そして、いよいよ夜の食事。
定番 「稚鰤の刺身と岩塩、オリーブオイル」に始まり、「黒鯛と海葡萄の冷製パスタ」、「 ホタテのラビオリキャビア入りとバルサミコソースを敷いた長芋のソテー」、「熟したイチジクと熟してないイチジクの生ハムあわせ」、「栗のリゾット」DSC00319-2.JPGなどが次々と。肉系が得意ではない私のために魚づくしのメニューを用意してくれたわけだが、いつにもまして私の体にすっと入ってくる。そんな中でも圧巻だったのは、アクアパッツァ。いままで食べてきたアクアパッツァの中で間違いなくナンバー1の味だった。最後に、アクアパッツァのスープにルッコラのペーストを入れて飲んだときは、倒れそうになった。こんなアクアパッツァ、食べたことがない!取材なんてことはどこかに吹っ飛び、ただただその見事な皿に吸い込まれ続けたのだった。
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 朝、物産館に集合し撮影。魚屋のおじさんに入ってきたばかりの岩牡蠣を頂戴し、つまむ。続いて、だだ茶豆畑へ行き、奥田シェフを畑の中で撮影。今日は1日雨の予報だったが、奥田シェフの魔力でなんとかもっている。撮影終了後、漬け物の老舗「本長」へ。ここでは、庄内平野で採れる地元の野菜を使った漬け物を作っている。民田ナス、藤沢カブなどは、ここ庄内の水と土と気候が育んだ特有の野菜である。いや、正確に言うと、もう絶滅しかけていたこうした地元野菜を救ったのが「本長」なのである。たとえば、その昔京都から民田に入ってきたという小ぶりな民田ナスは、20年ほど前には、もう一般にはほとんど流通しなくなっていて、農家が自家用で育てていた。それを「本長」が庄内の野菜を残そうと漬け物に使い出し、消えゆく運命あった民田ナスの息を再び吹きかえさせたのだ。「本長」の本間光廣社長にインタビューしたあと、民田ナスの生産者のもとへ。撮影終了後、山中にある蕎麦屋で昼食をとり、一足早く帰る今泉氏を庄内空港で落とし、奥田シェフ、山元カメラマンと3人で鳥海山の麓へと向かう。途中、遊佐の稲の前で休憩。PA0_0001.JPGここ遊佐の米は日本で一番と言われるぐらいのものらしい。また、江戸前鮨の米には、もともとは庄内米が使われていたのだと奥田シェフ。知らなかった。山麓に着くと水汲み場があり、周辺に住む人々(おそらく)がタンクやペットボトルを持って大量に採水している。手にすくって飲んでみる。旨い。もちろん無殺菌。この豊かな水は、標高差2000メートル余を一気に流れ落ち、日本海へと注ぎ込む。そして、その12度の水の注ぎ込む場所の一つが女鹿と言われる海岸だった。PA0_0000.JPG海岸に下りてみると、砂浜から水が吹き出ている。鳥海山がため込んだ養分豊かな真水がこの女鹿の地表から出ているのだ。波打ち際の水を飲んでみても、まったくしょっぱくない。目に見えぬ自然の力を改めて感じる。この鳥海山が産み落とす岩牡蠣は、誰もが認める日本一の逸品なのだが、数が少ないため、築地にまでは流通していない。そのあと、由良港へ行き、揚がった魚を見る。PA0_0008.JPG時化のため、ものすごく少ない。ここで初めて、庄内で獲れたウニを見たが、地元の人に訊くとどうやらあまりおすすめではないらしい。奥田シェフと別れたあと、山元カメラマンと鶴岡市内の「八方寿し」へ。モンティディオ山形対コンサドーレ札幌戦のダイジェスト映像、ハンマー投げ決勝を見ながら、庄内の海で揚がったノドグロ(赤ムツ)の刺身、焼き、握りを食べる。旨い。庄内すごいぞ、と改めて思った1日。
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 午後の便で文藝春秋の今泉博史氏と庄内空港入り。イル・ケッチァーノで奥田政行シェフと取材の打ち合わせ。その後、シェフと一緒に物産館内の魚屋へ行く。夕方、文藝春秋写真部の山元茂樹氏合流。料理撮影をしながら、アル・ケッチァーノで夕食をいただく。今日ももちろん満席。本日は、撮影用に4品作っていただいたのち、全14品のコースを味わう。稚鰤のはらみを皮切りに、鯛の生と炙りをのせた冷製カッペリーニ、鮑とインゲンのリゾット、鮎のフリットとグリーントマトの合わせなどを次々とたいらげる。たとえば、鯛のカッペリーニは、鯛を1.5日寝かしたときに細胞から滲み出る水分にオリーブオイルをあわせ、乳化させたものがソースとなってカッペリーニ絡んでいるから、口に入れたときにカッペリーニと鯛が素晴らしい合致をみせる。香り、食感、のどごし、このすべてにおいてなんとも言えない一体感が味わえるわけだ。そして、14品の皿すべてでこの絶妙な合わせ技が堪能できるというわけである。

 前夜、寝たはいいが、ホテルの空調のせいかはたまたベッドのせいか、あるいは「アル・ケッチァーノ」で最後に遊びでいただいたマタタビを食い過ぎたせいか、まったく安眠できず。体調不良のまま奥田氏が講師を務める料理講習会の取材に出かける。今日は奥田氏にとっては唯一の休日であるわけだが、シェフは、こんな貴重な1日ですら庄内のために捧げてしまう。地元の主婦を集め、庄内の食材を使った料理を教え、それを家庭で再現して子どもたちに庄内のよさを知ってもらいたいと願っているのだ。底辺から庄内のよさを広めていけば、いずれ庄内は栄えるという思いである。講習会終了後、「イル・ケッチァーノ」(アル・ケッチァーノの隣にオープンしたばかりのカフェ)内で2時間半のインタビュー。生い立ちから、今後の展開までじっくりとうかがう。壮絶な人生もさることながら、やはり、その尋常ならざる味覚に興味が尽きない。小説の「香水」を想起してしまう。「口の中で花火が上がった瞬間、何が欠け、何が多いかがわかる」というようなこともおっしゃった。その繊細な舌のストーリーを書いてみたいと思う。インタビュー終了後、つるむらさき、だだ茶豆、ズッキーニ、バジルなどが茂る畑へと案内していだたく。その場ですべて食べさせてもらう。旨い。残念ながら飛行機の時間が迫っていて、予定していた漁港の夕市は行けず。夜、帰途につく。
 昼、羽田に集合し、講談社の山中武史氏、佐渡島庸平氏、カメラマンの藤本和史氏、それに毎日放送の中野伸二Pも加わり、庄内へ向かう。鶴岡市内の鮨屋でランチをとる。鶴岡の昭和通りには鮨屋が集中していて、そそられる。旨い不味いはともかく、気持ちよくいただく。駅前のホテルにチェックインし、いったんばらける。夕方5時に再集合し、「アル・ケッチァーノ」へ。前回、「すし匠」の中澤圭二氏と鶴岡を訪問した直後に、「アル・ケッチァーノ」のシェフ奥田政行氏に単行本の取材を受けていただけないかとお願いしていたのだが、ご了解いただき、今回の訪問が実現した。多忙を極める奥田氏に、新たな負担をかけることは心苦しいのだが、奥田氏の働きっぷりは単行本のテーマにまさにぴったりで、無理を言ってお願いしたのだ。夕食前には講談社の小沢一郎氏も合流、稚鰤のカルパッチョを振り出しに、めくるめく13品のコースを次々とたいらげる。カプレーゼのカッペリーニには、自家製のリコッタチーズがホイップ形状でそえられていて、これを和えながら食べると絶妙。あるいは、イカと鯛とズッキーニを合わせて食べる料理は、3つの違った食感を楽しむ趣向。とにかく、ひとつひとつに驚きと秘密が隠されている。岩垣のモロヘイヤ和えのような前回いただいたものもいくつか混じるが、ほとんどは初めてお目にかかる皿ばかり。素材の味を引き出すため、塩はストイックなまでに減らされている。普段とは違い、ワインがすすまないのは、薄い塩味のせいだ。がぶ飲みする気が起こらないのである。庄内の恵みを存分に味わった男6人は、さらに深く地元を知ろうということで?、スナックに入る。何とも言えぬ鄙の香りを満喫し、日にちが改まる前にホテルへと戻る。猫の目の天候に翻弄されるF1ヨーロッパグランプリを見ながら、眠りに就く。
 ホテルで朝食をとったのちに、由良漁港へ向かう。何が待っているかわからないが、地方に来たらとりあえず漁港へ、は私の中のルールだ。もちろん、中澤さんに異論があるはずもない。しかし、この漁港では夕方に市があるため、ほとんどの船は出航していて港にはいず。たまたま小舟でもずくを取りに行って戻ってきた老漁師、そして、その友人の漁師をつかまえ、立ち話。漁師との会話はいつも楽しい。漁師同士が話し始めると、言葉を理解することは不可能になるが、我々には、少しわかりやすく話してくれる。取ってきたばかりのもずくをその場で試食させてもらう。やはり、夏場は岩牡蠣が旨いらしい。昨晩「アル・ケッチャーノ」で食ったやつだ。いま、東京で出回っているこってりした岩牡蠣はほとんどが養殖ものだ。ここでとれるものは言うまでもなく天然。あのこってり感が少ない分牡蠣自体の繊細な旨味を感じることができる。これも発見。静かな港で異国に来たような不思議な感覚を味わい、魚が集まる市場へ。丹念に見て回る中澤さんにくっついて魚を見る。もちろん種類はかなり少ないが、築地より相当安いらしい。中澤さん、店の人に話をつけ、いい岩牡蠣が出たら送ってもらうことに。市内に戻り、鮨屋へ。鶴岡の昭和通りには20軒もの鮨屋が集まっている。その中でもまともとおぼしき店に飛び込む。家族でやっている鮨屋で、感じもいいのだが、しかしやはり鄙。せっかくのいいネタが生かされていない。「その魚をどうやって出してあげれば美味しくなるかということが考えられていない。新鮮なものを切って出しているだけで…。酢で締めたり塩したりほんの少しだけ手を加えればものすごく美味しくなるのに…」と中澤さん。彼らが進化し続ける東京の鮨を食べたら何を思うのだろう、と2人で考える。別に東京が偉いとかではなく、そして、進化が正しいとか言うのでもなく、彼らの在り方を否定するでもなく、まったく外界を知らず止まってしまっている世界と東京の差異を痛感し、深く考え込んでしまったのである。中澤さんは、むしろいま東京で展開されているグルメブームには冷ややかで、料理人がメディアにもてはやされ、スター化してしまったことに対しても一歩引いて見ている。あるいはグルメ本やネット上で点数化されてしまう飲食店の在り方にも疑問を持ち、飲食を取り巻く環境についてずっと違和感を感じ続けているのが中澤さんなのだ。もちろん、自分自身、鮨屋としてどうあるべきかも頭から離れない。庄内空港内、羽田空港からのモノレール内でもインタビューを続ける。話は尽きない。有楽町で別れたあと、講談社の小柳津純氏と今週予定されている取材について簡単に打ち合わせ。夜は、例の蒸し鍋で野菜を中心にした軽めの食事で調整する。
 昼、羽田空港で四ッ谷「すし匠」の中澤圭二氏と待ち合わせ、山形庄内空港に向かう。鶴岡の「アル・ケッチァーノ」を訪ね刺激をもらいつつ、インタビューをしようというおいしい旅。庄内空港からプリウスで鶴岡市内に入り、まず、鮨屋に向かう。あてにしていた鮨屋はあいにく休みで、適当に看板を見つけて飛び込む。ネタは悪くないが、ご飯に問題がある。DSC01056-2.JPG酢をきかせた白いご飯にお刺身がのっている感じ。融合がない。米はいいのだけれど。いくら素材がよくても旨いとは限らないところが鮨のおもしろいところ。ホテルでチェックインをすませ、鶴岡駅前をぶらつき、ショッピングモール街の中でビールを飲みながらインタビュー。ホテルに戻って一休みしてから、「アル・ケッチァーノ」へと向かう。中澤さんとシェフの奥田政行氏が初対面のご挨拶。もっとも、正確に言うと2人は初対面ではなかった。日本の100人の料理人がフレンチ、そば、ラーメン、和食など各分野からそれぞれ選出されたことがあって(超人シェフ倶楽部)、中澤さんは、鮨部門の4人の中の一人に、奥田さんはイタリアン部門でそれぞれ選ばれ、同じパーティに出席し、記念撮影(全員での)までしていたのだ。少しの雑談のあと、いよいよ、めくるめくピアットの世界に。石鯛の冷製パスタ(パスタの上に石鯛が載せられているわけだが、これはいわば、鮨職人である中澤さんへの挨拶がわりというところだろう。どうだ、しゃりならぬパスタと刺身の融合は?と。…たまたま一品目がこうなったに過ぎないのかもしれないけれど)DSC01058-2.JPGを皮切りに、庄内産岩牡蠣のモロヘイヤ和えDSC01059-2.JPG、サザエと小松菜のスープなどなど奥田ワールドが次々と繰り広げられていく。並大抵ではない舌力(?)を持つ中澤さんだが、思っていた以上の味に、ときに絶句すらする。うっとりと目をつむり味を確かめる。そして、瞬く間に3時間余が過ぎ、気がつけば、我々は13皿もたいらげていたのだった。これでどうだ!、と押しつけてくるような強引さがないにもかかわらず、しかし、確実なインパクトを皿に載っけてくるのが奥田さんの料理である。とにかく記憶に残る皿なのだ。食後、地元を知るにはスナックだろうと、老婆が一人立つカウンターで一杯飲み、まったく人影のない街を流し、ホテルに戻る。

朝、7時20 分の便で山形・庄内入り。山形には何度か来ているが、庄内方面は初めて。今回は、スシケンの山形ツアーで、メンバーは、スシケンを中心に全9名。中野伸二夫妻、寺中桂子、R、増沢吉和、山内健太郎、狩野景子という20代、30代、40代、50代の面々。本旅の主たる目的は、鶴岡の「アル・ケッチァーノ」での晩餐。「アル・ケッチァーノ」は、いま、日本で最も注目を浴びているイタリアンレストラン。結論から言ってしまえば、最高の旅だった。DSC00900 H.JPGそして、奥田政行シェフの両手から放たれた料理はかつて食べたどんなイタリアンの皿とも一線を画すものだった。
 ガイド役の河井さんの導きで山に向かい、奥田さんと対面。すぐにクルマで山の中へと入っていく。途中、クルマを止め、森の中へ。奥田さんは、山猿のように木々の中を駆け抜け、あっという間に山菜を集めてくる。DSC00814 A.JPG
どうやら、これが今晩の食卓に供せられるらしい。私たちは、山中に自生する山アスパラなど様々な山菜を積んでは食べるということを繰り返す。DSC00815 B.JPG
甘いものもあれば苦いものもある。奥田シェフは、ときに食べてはいけない山菜を口にしてしまい、気絶したこともあるらしい。チェレンジャーなのである。好奇心を抑えられない人なのである。奥田さんと別れた私たちは、海岸沿いの鮨屋で昼食をとったあと、空港近くの松林で、地面を這うようにある食材を探す。それは、見たことも聞いたこともない、「松露」と呼ばれるものだった。全員でなんとか30個近く集める。DSC00865 D.JPG
いったん鶴岡市内のホテルにチェックインし、7時、「アル・ケッチァーノ」に入店。DSC00869 E.JPGほどなく、めくるめく官能の世界がスタートする。ひらめき、味付け、リズムとすべてが完璧。強弱のついた塩味にもリズムがあり、意味がある。しかも、黒板には、書ききれないほどのメニューが書かれていて、そのどれもが自在に出てくるのだ。アンティパストからセコンドまでそれぞれ4品ほど用意し、フィックスとしているレストランとは大違いである。奥田シェフには、こちらの好みを言えば、何でも出してくれる圧倒的な力が備わっている。スピード、アイディア、キャパシティ、スキルともうありとあらゆる能力を持った狂気のシェフなのだということが、ひと皿たいらげるたびにわかる。凄い。先ほど我々が山中で食べた山菜が皿に乗り、松林で拾った「松露」がパスタにあえて出てくる。噛む回数をカウントし、最上のゆで時間を吟味して作られる料理。科学と魂が瞬時に見事に融和する料理は果てしなく旨く深い。私は、イタリアに1年滞在し、その後も10数回訪問し南北の街々を回ってきたわけだが、ここまで存在感ある料理には出会わなかった。もちろんいま、「アル・ケッチァーノ」の皿はどちらかと言えば野趣あふれる料理で、エレガントとは言えないのかもしれない。しかし、奥田シェフは、間違いなく、エレガントなものだってさらっと作ってしまうに違いない。紛う方なき天才なのだ。こうして結局、私たちは、気がつけば一人15皿もの料理をたいらげていたのだった。
 ちなみに、何十いや百を超えるかもしれない皿から私たちが選んだ(選んでもらった)15皿の内容は以下の通り
1 稚鰤(わらさ)のカルパッチョ+新タマネギ
2 石鯛+こがしたショデ(山アスパラ)
3 桜鱒のルイベのカリカリ焼き+フィノッキオ+カタバミ+オレンジDSC00879 X.JPG
4 焼き酢締め鰆(さわら)+庄内野菜<ニンジン、インゲン、キャベツetc>
5 うちのヤギの自家製リコッタチーズとフレッシュトマトの冷製カペリーニDSC00904 I.JPG
6 松露とアンチョビ、アーリオオーリオのパスタ
7 孟宗筍+はえぬき+イノシシのパンチェッタ ゴルゴンゾーラ、白みそ、日本酒のソース
8 焼いたヤナギガレイ+アスパラガス
9 イシモチのサルシッチャ仕立てナス巻き+レンズ豆DSC00887 G.JPG
10 フォアグラとサクランボ
11 イノシシ肉とニンジンの葉
12 グミ貝+インゲンとバジルのペースト
13 月山筍のフリット
14 アルケッチァーノ風マチェドニア ミント味で
15 月山見立てのデザート+アイスクリーム
その他肉苦手用に
月山筍+ばいか藻+ニンジン葉
タマネギとネギのオイルソテーDSC00889 Y.JPG
 翌日の夕方、羽田空港に到着すると綾戸智絵さんより「鮨屋を紹介してほしい」と電話が入り、綾戸さんの出してきた条件に合う高輪台の「子史貴」を選び、綾戸さんの母堂と3人で出かける。短く濃厚な夕食時間を過ごし早々に解散。綾戸さんもまたスピードの人。山形訪問が早くも大昔に感じるような40時間がこうして終わる。