800キロ近くヨーロッパ内を走り続け、夜、ミラノから数十キロ離れたセルビーノ村にようやく到着。20分ほど走れば最近日本でもよく見かけるようになった炭酸水サンペレグリーノのサンペレグリーノ村である。途中、工事や事故渋滞などにひっかかり、かなり疲労する。田舎町のピッツェリアでピザとサラダという簡単な食事をとり、テレビで大荒れのポルトガル対オランダ戦を見たあと、倒れるように眠りにつく。

 夜、目黒の親方と待ち合わせ、伊豆の伊東に向かう。10時前、駅近くのホテルにチェックインをすませ、近くの鮨屋へ。雑然としたカウンター周りに目を奪われる。テレビはオンで、食器棚の周りにはメモ用紙や相撲カレンダーや私の嫌いなアイダミツオの標語が貼ってある。ネタケースの中にはラップに包まれた食材。何軒かある伊東の鮨屋で地元に精通している親方が推す鮨屋に入ったわけだが、席についた瞬間から本当に大丈夫なのか、と疑心が生ずる。しかし、貝類を振り出しに次々と出てくるつまみ類はすべて旨い。マトウダイ、ホウボウをはじめほとんどのものが地元で上がった地物だという。ヒラマサの腹は、港に揚がって3日目。目黒の親方がこだわるのは、この点だ。すべての魚が獲れたてを切って出せばいいというものではないのである。魚によっては寝かすべきものは寝かす。熟成が必要な種類もあるのだ。もし、このヒラマサの腹を「獲れたての新鮮でござい」と出してきたら、ただコリコリとした脂の多い身ということになってしまう。目黒の親方がこの鮨屋を勧めた理由はそこにあった。ちなみに最悪なのは生け簀から白身の魚を取り上げ、いかにも新鮮でございと切って出しする店。タイなんかは少し寝かせた方が旨味が増すのである。
 店の親方との魚談義がはずむ。話は「根付きのアジ」(「根付き魚」の本来の意味は違う。地元に根付いている魚という意味で「根付き」と称するのだろう)に及ぶ。この伊東沖ではときどきものすごく大きなアジが釣れるのだという。ついこの間も1.2キロものアジが釣れたらしい。800グラムぐらいのものも結構獲れて、その身はもはや白身のような色と食感でそれはそれは旨いらしい。そんな話をしていたときに、私が不用意なことを言ってしまう。「そんなすごいアジだったら、関アジのようなブランドにだってなりますね」と、まあ、ちょっと持ち上げるつもりで言葉を挟んだのだ。すると、目黒の親方から「そんなことじゃねえよ、ここだけで知っていればいいし、日本中になんていき渡らねえんだから」と小声で叱責されてしまう。いや、その通りでございます。それこそテロワールの話じゃないか!
 地物の魚を食い尽くし、日本酒を飲んだあと、翌朝の起床時間を気にしつつ、地場の雰囲気を知るために、という口実を設けて近くのスナックへ入る。そしてこれが地獄への入り口となってしまうのだった。店に他の客がいないのをいいことに、店の人とのカラオケが始まってしまったのである。滞在3時間。翌日のことを考えなければどんなに盛り上がろうともカセなどあるはずもないわけだが…。

 いまから20年前、1986年のちょうど今頃、私はヨーロッパにいた。初めてのヨーロッパで、見るもの聞くものすべてが新鮮で、どきどきわくわくしながら街を走り回ったことを覚えている。そして、そのヨーロッパ滞在中にチェルノブイリの原発事故が起きた。イタリア語もフランス語もまるでわからなかったので、ニュースを見ても内容は理解できなかったが、何やら大きな事故がソ連内で起きたということだけは伝わってきた。数日後、パリの知人宅に行ったときに初めて詳しい内容を聞き、その惨状にただただ打ちのめされたのだった。そのとき同時に私の中に湧き出たものは、目に見えぬものの恐ろしさというか、実態のわからない漠としたものへの恐怖感だった。そのあと、「事故後最初に雨が降ったのはイタリアのトスカーナ付近だった。だから、1987年のワインは飲まない方がいい」などとまことしやかに囁かれるのを聞いたりもした。とにかく、ヨーロッパでは他人事ではなく、大騒ぎだったのだ。
 このチェルノブイリ事故のあと、世界中で原子力発電のあり方が見直されたことは言うまでもない。そして、先進国では、原子力発電に対して消極的な見方が多く出るようになっていったのである。私もまた、原子力発電に関しては、積極的な支持者ではない。確かにCO2の排出量という観点で言えば、原子力は圧倒的に優れたエネルギーである。しかし、その代償はあまりにも大きすぎる。原子力委員会に籍を置いたこともある北大の大友詔雄先生は以前インタビューしたときにこんな風におっしゃっていた。「原子力技術は安全の実証性、最悪事故の災害の規模の特定性、技術の社会的許容性、事故の予測可能性の4つの点で問題」で、たとえば「社会的許容性」に関して、大友さんはこう言った。「多くの技術は、改良のプロセスを前提にしている。使う中で改良し安全にできるという見通しがもてるから、飛行機や自動車の事故が繰り返されても、社会はその技術を容認するわけです。ところが原子力技術というのは、最初に完璧に作って、事故を起こさないものとして作らないとけいない。これは技術としてまず絶対に成り立たないし、社会的許容性を獲得することはできないんです」。もう一つの問題点は、核廃棄物だ。この点に関しても大友先生の言葉は明快だった。「核廃棄物は、1000年から2000年の長期に渡って管理しなければならない。ましてや、プルトニウムなんていったら、2万年を超える。1000年なんて簡単に言うけど、1000年前って言ったら日本は平安時代ですからね。平安時代の公家さんが残した汚物を現代人が処理するようなものです。そういう超歴史性の問題が原子力にはつきまとう」。私はいま、微力ながら、チェルノブイリの事故直後から現地に入ってる団体の支援をしている。20年という歳月をおいてもなお、ベラルーシの人々は見えないセシウム137の亡霊に苦しめられている。……チェルノブイリの不幸な事故を無駄にしてはいけない、と改めて思う。

 朝、シラクーサのホテルを出て、すぐ近くの市場に買い物に行く。今日はシチリアの最終滞在地チェファルーで、自炊することになっているのだ。市場に一歩足を踏み入れると、そこはもう魚と野菜のオンパレード、胸がときめく。形は悪いが、うまそうな野菜が山と積まれている。日本の消費者はどうして、野菜の形にあそこまでこだわるのだろうかと思う。農薬をぶっかけて、形のいいものだけを選別して、それが本当にうまい食材と言えるのだろうか。胡瓜なんて、形のまま食べること少ないのだから、形なんかどうでもいいじゃないかと思ってしまう。成長の早いズッキーニにしても、大小あるのは当たり前だと思うのだ。日本の消費者は自分たちの首を自分たちでしめているとしか言いようがない。シラクーサ市場の中でも出色だったのは魚屋。新鮮な魚介類が店先に溢れ、活気に満ち満ちていた。
小イカ、アサリ、白魚、エビ、ルッコラ、アスパラ、トマトなどをわんさと買い込み、クルマに積む。もしこんな楽しい市場が恵比寿にあったら毎日でも行くのに。
 3時間ほど走ってチェファルーのレジデンスに到着。海辺の小さな街。ここには2泊することになっている。マンションで言えば2LDKのつくり。夕方、チェントロのスーパーマーケットに行き、水、塩、コーヒー、ワインなどを買い込む。これで、自炊態勢は万全である。C&Rの手料理を食べ、飲む。実のところ、これがシチリアに入って以来の最高の食事だったかもしれない。とにかく、シラクーサの食材は素晴らしく、料理はうまく、会話は楽しく、ワインを3人で5本開けてしまったのである。

 エンナを出発し、シラクーサへ。宿泊先のGutkowskiホテルに荷物を置き、徒歩で街へと向かう。まずはイタリアの都市での鉄則、Duomo訪問。こういくつもDuomoを見て歩いていると、何年か経って振り返ってもどこにどんなDuomoがあったか定かでなくっていたりするのだが、とりあえず、見るだけは見ておこう、と向かうのが常なのである。バールでアランチーナを立ち食い。夕食まで時間があったので、隣町(といっても40キロぐらいはあったと思う)のノートへ行くことにする。小さな街ながら、欧米の観光客が結構いる。一車線の如くの山道を数キロ走り、ノートの遺跡地にも足を伸ばす。ドイツ人観光客はこんなディープな場所にもちゃんと自分たちの足でやってきている。さすがである。
 夜、3人でシラクーサ市内のレストラン「La Foglia」へ。不気味なアンティークの人形や置物など、なんとも言えぬ奇妙な内装の店。料理もやや変化球ではあるが不味いというわけでもない。私はフェットチーネのシーフードミックス(と手書きのメニューに英語で書いてあった)を頼んだが、膝をたたいて旨いというほどでもないお味だが、不満ではない。ホテルに戻り3人で赤を一本。

 塩漬けの日々を脱するべく、パレルモへと向かう。本日はチャー&rコンビが帰国する日。忙しい2人は、4泊6日の強行軍で来たのだ。パレルモの中心へとクルマを走らせる。チェントロ に近づけば近づくほど車列が入り乱れ始める。車線なんか関係ない。私は、こういう混乱の中での運転が嫌いではない。南イタリアはいつもこんな感じだ。昼、パレルモ市内の「Trattoria Biond」に着く。私は前菜にルッコラに海老をのせたものを頼み、パスタはやはり海老の手打ち麺を頼んだ。共に塩の量は正しく(当たり前だが恐怖症になっていた)、味も悪くない。私たちが食べている間に店内は地元の人々で一杯になっていたから、悪い店ではないのだろう。しかし、ここでもちょっとのんびり食い過ぎてしまい(イタリアではたとえランチでも1時間以内で食べるのは至難なのだ)、慌てて店を出ることになる。メルチェデスのアクセルをやや強く踏みながらの走行で、無事、チャー&rのローマ行き便の出発1時間半前に空港にたどり着く。2人と別れた後、C&Rのコンビとともに山間部のエンナを目指す。パレルモから数時間、高速道路を走っていると、遙か彼方の丘陵の上に街が現れる。もしかするとあれがエンナかと車内が色めき立つ。そして実際、その丘の上の街がエンナだったのである。それはそれは美しい街だった。
 ホテルにクルマを置き、街を散策する。街の先端に立つとそこからは360度に渡ってシチリアの内陸部を見渡すことができた。沈みゆく太陽を眺める。春先の少しだけ冷たい風が吹き上がってくる。街では、ちょうどパスクワが始まったところで、カソリックの信者たちが街を練り歩いていた。海が見えないせいだろうか、何かイタリア本土と勘違いしてしまいそうな雰囲気もある。
 私たちは、ガイドブック「ミシュラン」のお導きに従って、「CENTRALE」というレストランに入る。入り口には、野菜料理が30種類ほど並んでいる。野菜不足だったこともあって、私たちはわくわくしながら席に着く。今日は最初から赤ワインだ。10ユーロのシチリアの代表的なワイン「レガリアリ」を頼む。これまで何度も飲んできた銘柄だ。ところがだ、このワインがダメなのである。おそらくは保存状態が悪かったのだろう、同じ安ワインであっても飲める状態のものとそうでないものがある。うまいとかまずいではない。「イッちゃってる」かどうかなのだ。私は、一口飲んで、別の種類のワインを注文した。その刹那、私はこの店はダメかもしれない、と思っていた。というのも、そこの主人が、私の突き返したワインを味見もせずに、そのまま私たちのテーブルに放置したからである。東洋人に突き返されたワインを普通なら試してみないか?そして、「あ、これは確かにおかしゅうございました」と謝るべきだろう。あるいは「おかしくないよ、あんたの味覚が狂っている」と主張してもいい。少なくとも確認するのが主人の務めってもんだろう。その対応から、ああこりゃダメだと思ったのだ。けれども、野菜のブュッフェはさほど悪くはなかった。やはり野菜自体に力があるのだ。ところがだ、私が決死の覚悟で頼んだ牛肉がこれまたダメだったのだ。私はハム類をたまに食べる以外、普段ほとんど肉を口にしない。3ヶ月に1度食うかどうかだ(鶏肉に至ってはまったく食えない。もう何10年も食ってない)。ただし、イタリアの山間部に来たときはときどき牛肉を食べる。ここの牛が放牧されているのを知っているからだ。で、私は、久々に仔牛のキノコあえを頼んだ。出てきたのは、灰色の汁に浮かんだ固い肉片…。しかも、ここまでぼやけた味の食い物があるだろうかという漠とした味付け…。Cさんの頼んだ肉料理も同様、Rの頼んだポルチーニのステーキもお化け椎茸の素焼きという体で、皆半分以上残してしまったのである。「ミシュラン」には真っ当な店も出ているが、こういうレベルの店も多数載っているのである。あるいはドイツ人とアメリカ人だらけで、誰も地元の人は食べに来ないような店もまた出ている。きっとすべての店をちゃんと回ってチェックしてないんだろうな。「ミシュラン」に絶対的な信頼なんかおいてはいけないのだ。やっぱり、おいしいものは自分の足と勘で探せ、ということのでしょう。

 7時に朝食をとり、8時過ぎにファビニャーナ島の港に到着。港では獲れたばかりの魚の即売をしている。昨日のおしゃべりぺぺもいる。ぺぺが「お茶しよう」と誘ってくれる。みんなでエスプレッソを立ち飲みし、ぺぺそしてこの小さな島に別れを告げる。10時前、トラパニに到着し、丘の上の小さな街エリーチェへと向かう。駐車場にクルマをとめ、街中を散策する。その途中で、「あ、危ない!」と後ろからCさんの声。しかし、そのときすでに、私の靴の底がなにかヌルッとしたものをとらえていた。そう、クソを踏んだのだ。ヨーロッパで最悪なのは道の至ることにクソが落ちていることだ。フィレンツェに住んでいたとき友人に「なんでこんなクソが多いの。なんで犬の飼い主は拾わないんだ?」と尋ねたことがある。そのとき彼はこう答えた。「だって、犬の糞を拾っている姿って格好悪いでしょ。だから誰も拾わないんだよ」。本当かよ?いずれにしても、私はしっかりと踏んでしまった。そして、このときの4人の反応が酷かった。笑いに笑ったのである。とりわけ2人の女性は指を差して笑い、私を嘲ったのである。「あー、うんち踏んじゃった」とレディとは思えぬことを口走り、しかも、延々とはしゃぎ騒ぎ立てたのである。まるで小学生のように。ひとり公衆トイレで靴底を洗う。実に惨めだった。
 昼、中心街のリストランテ「Monte S.Giuliano」で昼食。ブロッコリーのフライ、海老のカクテルソースなどを食べる。まずまずのお味。食事後、ホテルへと向かう。本日宿泊するのは、海沿いに建つ「Tonnara di Bonagia」。マグロの集積場を改造して建てられたお洒落なホテル。素晴らしいロケーションである。で、ホテル併設のレストランで期待のディナーとなったわけだが、これが大外れ。そう、トラパニ地方の伝統とも言える「塩分過多過多過多過多」攻撃だったのである。私は前菜に「Fantasia di tonno」を頼んだ。マグロのファンタジー。何やら期待できる料理ではないか。ところが出てきたのは、塩漬けの赤身やら塩漬けの卵巣やら塩漬けの背トロだったのである。その塩分たるや半端ではない。もちろん、パンと一緒に食せということだろうが、それでも尋常じゃない塩分。しかも、そこには微塵のファンタジーもうかがえない。少なくとも、これをやるなら、赤身の上にちょこんとのせて、オリーブオイルを垂らすとか、炙ったトロの上にのせて出すとかいくらでも調理方法はあるだろう、と思ってしまう。漁師のぺぺだってこの塩漬けをちゃんとクラッカーにサンドして出してきたぞ。これなら「Fantasia di sale」、つまり塩のファンタジーとした方がいい。少なくともそうしてくれたら、私は頼まなかったし。しかも、やたら格式高く、ぶっているレストランだったからなおさら印象が悪い。こんなものを何の手も加えずに料理でございと出してくるなよ、と思う。さらには注文した19ユーロのワインがなく、勝手に35ユーロもするワインを持ってきたことも許せない。Rが頼んだ豆のスープも明らかに塩が多い。ダブルで塩ふっちまったんじゃないかと思うほどの塩っ辛さ。Rは半分以上残し「塩がきつ過ぎです」と珍しく文句を言うも、暖簾に腕押し。たぶん料理長以下皆さん郷土自慢の塩漬けの毎日で舌が麻痺しちゃっているんでしょう。FRAMONという大きなホテルチェーンが経営するこのホテル、よかったのは、器だけでした。部屋に戻り、料理の味ならぬしょっぱさを皆で振り返り、就寝。

 朝7時半起床。屋外に用意されたテーブルでの朝食。朝日が差し込む中、すがすがしい気分で朝食をとる。今日は漁船で海に出ることになっている。朝食後、港に向かい漁船に5人で乗り込む。漁師の名前はニーノとぺぺ。ペスカトゥーリズモというやつである。しかし、いざ出港してみると、何やら様子がおかしい。我々は、沖に出てのんびり釣り糸でも垂らすものとばかり思っていたのだが、ぺぺは、沖に出て定置網を引き上げ、それから島を周遊して戻ってくると言っている。「えっ、自分たちで釣った魚を食べるんじゃないの」と不満の声があがる。私のイメージもまさにそれだった。しかも、ぺぺには「ゆっくり話して」と何度も頼むのだが、話しているうちにものすごく早くなってイタリア語の意味がほとんどくみ取れない。おとなしくゆっくり喋ってくれるニーノに訊くとぺぺの言葉にはローカルなイタリア語も混じっているらしい。わかるわけないじゃん、そんなもの。
 約15分ほど船を走らせ、定置網を仕掛けているところで一時停止し、網の巻き上げにかかる。誰か一緒に手伝えと言われ、すぐに威勢よく漁師服に着替えたのはCさん。さすがです。そこからは、ツーリズモも何もあったもんじゃなかった。1時間近く、2人の漁師はひたすら定置網を引き上げる作業に没入し始めるのである。続いて、釣った魚の仕分けに着手。私たちはただただその姿を眺める。これじゃ、漁船に乗って社会見学しているだけじゃないか、とさらに不満の声があがる。しかも、網の巻き上げ作業を手伝っていたCさん、それにRの2人は、いまやどっぷりと不調の中にいた。共に小学校の遠足のときにはいつもバスの一番前に座っていた女子なのである。
 港を出てから2時間が過ぎ、ようやく、船は美しい入江の前に停船する。水深6メートルの海の底が見える場所。適度な風と強い日差しが気持ちいい。そして、ここでぺぺが取り出したのが5リッター入り紙パックのワインとクラッカー、それにマグロの塩漬けだった。私とチャー、rは乗り物酔いはしないので、もういいやと思って白ワインを飲み、クラッカーをほおばる。それにしてもペスカツーリズモって漁船同乗体験のことだったんだ、と改めて知った次第。ぺぺもニーノもいい人ではあったのだが。ちなみにお値段はひとり40ユーロ。
 午後帰港。昨晩行った「El Pescador」でイカ墨のスパゲッティを食う。ホテルに戻り、いったんそれぞれ休み、17時集合ということに。が、誰ひとりとしてこの集合時間を守らない。私もはっと起きたのが17時過ぎで、あわててロビーに降りていったのだが、誰もおらず。ホテルの人に聞くと誰も降りてきてないという。みんな寝過ごしたのだ。取材で来ているわけではないのだから、それでいいのだ。結局、夕食までみんなだらだらと思い思いの時間を過ごすことに。
 夕食は、街中にある「La Bettla」。東京にも同名の店がある。一度だけ行ったことがあるけれど、サービスが悪く、私は2度と足を運んでいない。しかして、このファビニャーナ島のベットラは…。うーん、やはり残念ながら日本のベットラを超える味ではなかったのである。でも、だからといって、すごく不満というわけでもない。イタリアの大気の中で家庭料理を味える満足感はやはり何ものに代えがたいのである。田舎くさい料理で、テレビのある食堂みたいなところで、隣のテーブルで店の子どもたちが食事をしている中で、わいわい言いながら食べるのもまたよし、なのだ。ホテルに戻り、月を眺めながらしばし石の回廊をみんなで散歩する。本当にいいホテルだ。本日はアフターのワインはなし。翌日、朝イチでトラパニに戻ることになったからだ。最初の計画では夕方のフェリーで戻るはずだったが、なんとなく皆、でっきるだけ早くこの島を出たくなっていたのである。

 朝、チョロチョロとしか出ないシャワーを浴び、2つ星ホテルを出発、トラパニ港でファビニャーナ島行きフェリーのチケットを買う。別に早めに行って買う必要はなかったのだが、もしも乗れなかったらという不安からとりあえず買っておこうということになったのだ。フェリーは15:45出発。それまで、マルサラ酒で知られるマルサラで昼食をと、メルチェデス(イタリア読み)を走らせるも、意外に距離があることに気づき、途中の塩田近くのレストランに飛び込み食べることに。塩田博物館にも立ち寄り、ここのレストランもチェックしたが、ツーリストメニューみたいな感じだったので流す。さらにクルマを走らせ入ったのが「EUBES」という一軒家のレストラン。着席してみるととても感じのいい店で、これはもしかすると当たりかもと期待に胸をふくらませる。そして、出てきた料理は…。

 当たりだった。私は、前菜はアンティパスト・ミストを頼み、プリモは「Matallota」という海老づくしのフェットチーネを頼んだのだが、どちらも基準値以上。「ここの食事を今回の旅のベースとしよう。これ以上のものを求め、食べよう」と5人で誓い合う。しかし、この誓いは、残念ながら、こののちほとんど実現することなく終わる。幸先いいスタートだぞ、と大いに盛り上がったこのときの食事が、実はこののち5人そろってベストと振り返る最後の皿だったのだ(少なくとも超えるものはこののち数日はなかった)。とりわけ、この塩田が自慢のトラパニ周辺のメシがいけなかった。郷土自慢もたいがいにせいよ、というぐらいすべての料理に塩がふんだんに使用されていたのだ。私たちの体は、日一日と塩漬けされていったのである。「EUBES」はサービスもよく、白ワインを2リットル飲んで全部で108ユーロ(もちろん5人で)だった。
 食事をのんびりととり過ぎたため、メルチェデスの尻を叩いて、大急ぎで再びトラパニ港へと向かう。
 フェリーに乗り込み、いざファビニャーナ島へ。フェリーはメルチェデス+5人の乗船代で48.9ユーロ。約1時間でファビニャーナ島の港に着く。マグロ漁で知られた島だ。港に降り立つと、5人の東洋人とメルチェデスはすでに注目の的(という気がした)。ただ、この島では日本人と言われることはほとんどなく、相変わらず中国人と思われていた。東洋人イコール中国人なのだ(田舎では日本の認知度はまだまだ低いです)。2連泊する予定のホテルへとクルマを走らせる。投宿するホテルの名前は「Hotel delle Cave」。石切場にお洒落なホテルだ。昨日のホテルとは雲泥の差。素晴らしいロケーションである。ホテルの人も抜群に感じがいい。

ただ、残念ながら、シーズン前ということもあって、併設のレストランはお休み。私たちは、人々の容赦ない好奇の目にさらされながら、街をほっつき歩き、「El Pescador」という中心街にある家庭的なレストランに入ったのだった。私はウニのスパゲッティを頼んだが、これはなかなかのお味。 
しかし、基準値「EUBES」とはあくまでも同等の域だし、日本のイタリアンでも食べうる味だと思う(いつもイタリアに来て思うのは、日本のイタリアンのレベルの高さ。本当にすごいです)。それでも、イタリアの小さな島でのんびりと仲間たちと食べる食事が楽しくないはずもない。ホテルに戻ってからもシチリアの大気を吸い込みながら、地元ワインを飲み続けたのだった。

 朝、成田エクスプレスで成田空港に向かう。チャーリー(以下チャー)、Rieちゃん(以下r)組と合流、空港ビル内の店で昼食をとる。出発前、本屋で『東京アウトサイダー』と『10年後の日本』を買うも、ローマまでの12時間、鶏舎のケージのような中では本を読む気になれず、数ページ眺めただけで結局映画を見て過ごすことに。「GOAL!」、「The skelton key」、「Just like Heaven」などを立て続けに見る。そんな中の一本、「星になった少年」はやばかった。通俗的な描き方にときどきひっかかりながらも、最後には見事に泣かされていた。巷間言われている通り、柳楽優弥の力はすごい。それにしても最近とにかく涙もろくて困る。
 ローマ空港に到着し、空港内のフレスコバルディ直営のワインバーでスプマンテを飲む。3日ぶりのアルコール。シチリア空港に着いたのは、夜10時すぎ。問題はそこからだった。空港から30分ほどのところにある予約していたホテルがとにかくわかりにくいところにあったのだ。Rのナビでとにかく慎重に走り進む。こんなところに本当にホテルがあるのか、と思うような細い道をひたすら辿る。今回のレンタカーは、メルセデスE280ワゴン。5人での移動を考えるとこのクラスしかなかった。が、この選択は間違いだった。とにかく、シチリアでシルバーのメルセデスは目立ちすぎるのだ。同じ大型ワゴンでもアルファロメオとかだったらまだましだったに違いない。このあと、駐車場所を気にしたり、不審者に目を光らせたり、常にクルマの存在(まさに文字通り”存在”)を気にしなければならなくなる。
 なんとか迷わずにホテルに到着、すでにチェックインしていたスイス在住の大坪千夏さん(以下Cさん)と5人でフレスコバルディで買った赤ワインを飲む。ホテルは二つ星でツイン一泊60ユーロというお値段。
シャワーはちょろちょろとしか出ない。100人近い中学生の団体も来ていて、騒がしい。ドライヤーもバスタブも備品類もまるでなし。まあ、この日は寝るだけだからと空港との距離を考えたてとったホテルだったので、納得ずくではあるわけだが。1時半就寝。


 10日間滞在したシドニーを去る日。本当はもうちょっとシドニーの街をのんびり歩いたり、おいしいものを食べたりしたかったのだけれど、結局原稿に追いまくられ、それも叶わず。滞在をさらに延ばすことも考えたが、19日の湘南対仙台戦を見たいこともあって泣く泣く帰国することに。
 この日は幸いにもカズはまる1日オフ。朝、昼、晩とカズを含めてまったく同じメンバーで食事をする。まるで合宿のよう(実際そうだったわけだが)。朝食後には、みんなでフィッシュ・マーケットに行き、ぞろぞろと市場を流す。日テレのクルーがその模様をとっていた。
 ホテルに戻ってきてからカズと2人でプールへ。私はもちろん泳がず(泳げない?)、プールサイドでひとり寝転がる。カズは25メートルを6往復ぐらいしていた。休みなのに。水泳終了後、プールサイドでカズのインタビュー。実に濃い1時間余。といっても、大半は、記事にするための話ではなく、もう少し建設的な大きな話。「結局は24時間サッカーのことを考えている」という言葉がこのときふとカズの口をついて出たが、それが本当であることを改めて感じた10日間だった。こっちに来てからというもの、毎日2時間近く費やされる体のケアーはもちろん、三食もまたバランス第一ですべてがサッカーのために捧げられていたのだ。そして、少し時間があくと取材が入る(これもまた広い意味でサッカーの一部だろう)。10日間ほぼ毎日一緒に食事をして、カズは一滴たりともアルコールを口にすることはなかった。ショッピングをしに街に出ることもなかった。「サッカーを楽しんで、シドニーの生活を楽しんで」とカズはたびたび言うが、実際のところは飲める酒も口にしない日々なのである。38歳のサッカー選手が体を維持していくにはストイックであり続けるしかないのだろう。ナルマゾ(ナルシストでマゾヒスト)と言われるのもうなずける。いずれにしても、巷間言われるプレーのレベル云々というよりも、私にとっては、この人の生きて行く道そのものがおもしろくて仕方ない。幸いなことに私はスポーツライターと名乗ったこともないし(一度だけ編集者が確認もとらずに勝手に付けたことはあった=結構嫌だった)、スポーツを描けといった枠組みに入れられることもない。カズはまさに枠にとらわれずに書いてみたいと思える稀有な人なのだ。
 夕食後、「では、12日の豊田で」と言って10日間本当にお世話になった仲間たちと別れる。
 夜10時すぎの便で、東京に向かう。


 朝、カズの練習を見にスタジアムへ。前夜、カズはいつもより長めのマッサージを受けた。というのも、その日の午前午後の練習がハードで、疲労が蓄積しているのだ。「うまく調整していこう、このあと36時間休めるわけだし」と練習場に向かうクルマの中でカズが竹ちゃんに言う。明日木曜日は、「試合の2日前は休み」というシドニーFCの方針で練習はオフ。午前練のあとは、立て続けに新聞社、地元のスポーツ誌などの取材を受ける。そのあとマッサージを受け、たったいまオーストラリア対ウルグアイ戦を見に出ていった。とにかくカズの1日は忙しい。私は、居残り原稿を書き続ける。テレビで試合は見るつもりだが。
 いま、日テレのクルーがドキュメンタリー制作のためカズに密着しているのだが、そのコーディネーターを務めるのがジドニー在住のジェイソン(インタビュー中写真の左)。日本語がぺらぺらの上、文句なく人もいい。しかし、このところのハードスケジュールで少々疲れ気味。世界遺産と西遊記のロケのあとに、今回の仕事と続き、3ヶ月休みなしで働いている。にもかかわらず、コーヒーをいれ、飲み終わった我々のコーヒーカップをいち早く立って洗ってくれたりする。恐妻家という噂は本当なのかも。それにしても、日本文化を知る外国人にはどうしてこうも優しくいい人が多いのだろう。


 朝カンタス航空のオフィスに行き、帰国日を1日延ばす。帰りは30分ほどの道のりを歩いて帰る。初めてシドニーの街を味わう。マンハッタンのようなところもあれば、ヨーロッパみたいなところもあり、なかなかいい街。もう少しちゃんと見たかったな、と後悔。よさげなカフェやレストランもたくさんあるし。途中何かのUNIONのデモ隊(数千人〜規模)に出会う。戻ってまた原稿を書く。


 再び朝から原稿書き。もうろうとパソコンに向かっている感じ。不意に襲ってくる睡魔とも戦わないといけない。曜日感覚、日にち感覚がまるでない。昼、友より電話があり、昼食に出る。カズ、日本から来ている北澤豪さん、竹ちゃん、それに日テレのクルーらと歩いて和食「松緑」へ。戻ってまた原稿書き。いい天気だからのんびりシドニーの街も歩いてみたいのだが。夜また友より夕食のお誘いが入る。行きたいけれど、いま書いているこの一本を上げるまでは、と泣く泣く断る。で、いま出来た。一本上がると少し嬉しいが両手を挙げる感じでもない。しかも、ここで喜んで手を休めてしまうと、また次の原稿に入るまでにすごく時間がかかってしまうのだ。だから、ここはぐっと堪えて、次の原稿の入り口だけでも開けねばならないのである。アスリートが必要以上に休んでしまうと回復に時間がかかるのと似ている?違うか。
 なんでこんなことになっているんだよ、と思ったときに浮かんだのが、昨日の夜、食事を終えてホテルに帰る道すがらカズが言った言葉。ある人が雑誌か何かで自分の置かれた境遇や、自分の思い通りにならなかったことを嘆いていたことを取り上げて、「それはでも、結局、全部自分のせいなんだよね。人のせいにしていたら、絶対にだめ。上にはいけない」というようなことを言ったのだ。カズはずっとそうやって生きてきたのだろう。たとえ理不尽なことがあっても。比較するレベルではまるでないことは百も承知だが、そうだよな、こんなにも締め切りがズレ込んだのは元はといえば自分のせいだよな、と改めて思った次第。仮に、それが書き終わらないぐらいの量だったとしても、それを受けてしまったのは自分だし。



 朝ようやく懸案の原稿を1本入稿。残り7本一気にいきたいところ。ホテル内で部屋を移動しなければならなかったので、いったんカズの隣の部屋に避難。カズとしばらくだらだらと雑談する。昼食をとりにカズ、竹ちゃんらと近くのカフェレストランへ。日曜日のため、昨日行った店が休みで、また初めての店だ。塩気のないパスタを食う。カズは、メニューにない葉物をあえた平打ち麺をオーダー。ひと皿食べたあとにお代わりし、少し竹ちゃんにも分ける。つまり、1.5皿。「ひと皿だけだと5時(キックオフの時間)のときにはお腹がすいてしまう」とカズ。ちなみに2皿の塩の量はやはりかなり違ったらしい。カズは終始リラックスしていて、「新しいリーグに挑む」といった気負いはない。イタリアのときとも、クロアチアのときともまるで違う雰囲気。
 3時過ぎ、チーム関係者が運転するクルマでカズとスタジアムへ。シドニー在住の日本人の姿も目立つ。なんでも、ワーホリの人などを入れるとこの街には4万人もの日本人がいるそう。家族ずれや友達数人で来ている人たちは旅行者というよりは、在住の人たちなのだろう。強い日差しの中キックオフ。初めて見るオーストラリア・サッカーだが、皆体がでかく、当たりが強い。そしてラフ。気のせいかラグビーっぽい。しかもあまりつなぐサッカーではなく、ぽんぽんと大雑把に蹴りこむ感じだ。カズはこんな中に入って大丈夫かな、とふと思う。後半残り15分というところでカズが入る。大味な感じのサッカー(体がでかいからどうしてもそう見えるのかもしれないが)の中に、いきなり牛若丸が入ったかのよう。最初のディフェンスとヘディング戦はカズが制した。あとからカズに訊くと、「飛んだ瞬間に、あ、こんなに高く飛んでいる、と一瞬止まったような感じがした。たぶんすごく体調がいいからだと思う」、と。結局、1−0で勝利。世界クラブ選手権に向けて徐々にチームにフィットしていくということを考えれば、いい滑り出しだったのではないか。あと3試合、ひたすらケガのないことを祈るばかり。
 夜、市内の和食屋で食事。カズは「ここまで自分の体調がいいのは、竹のおかげ。ブラジルとかいろんな国の人を見てきたけど、細やかさとかすべての面で竹のマッサージが一番だと思う」と竹ちゃんを絶賛する。昨日も「カズの体のすみずみまで知っている竹内さん」とここで書いたが、カズのサッカー寿命がここまで延びている一因には、1999年からずっとカズを触ってきた竹ちゃんの技があることは間違いない。カズは早々に食事を切り上げ、部屋に戻って、その竹ちゃんのマッサージを1時間ほど受ける。マッサージを受けながら、ニューハーフの友達の話に。ブラジル時代、毎週日本で放送されたばかりのテレビ番組のビデオ数本をカズに送ってきてくれた人で、カズはいまでもその人に恩を感じているのだ。「ひとり寂しいときにやさしくしてくれた人のことは忘れられないし、やっぱりずっと感謝しちゃうよね」、とカズ。その他、「なんでそんなに人がいいの話」が次々と。マッサージを終えると、カズはそのまま「おやすみ」と言って寝室へ。この日は、結局、昼前から寝るまで付き合ったことになる。またまた原稿の遅れが気にはなるが、デビュー戦の日にその選手の近くにずっといられる僥倖は、ライター冥利に尽きる、としか言いようがない。


 眠たさをこらえて朝から原稿書き。投資案件の話、いやー大変です。
 夜7時前、カズ、マッサーの竹内章高さん(写真の人)ら男4人でホテルのすぐ近くのイタリアンで夕食。全員初めての店だが、ポルトガル語とイタリア語を少し喋る店員がいて、会話はすべてこの2つの言葉でオッケー。カズは試合前日にもかかわらずすごくリラックスしているように見える。全員でパスタと野菜サラダだけの簡単な食事。カズはパンも食べていたか。今日は炭水化物の日だから。話は、ブラジル時代のこと、Jリーグのこと、シドニーの街のことなどなど。「明日の朝は何時に起きる?」と尋ねると、「7時」とカズは即答。ウルグアイ対オーストラリア戦があるのだ。食事後、私はいったん自分の部屋に戻り、原稿の整理など。カズのレジデンスの隣の部屋には竹ちゃんらが2人で暮らしていて、夜、そこに少しだけ遊びにいく。竹ちゃんは1999年からカズについている個人トレーナーだ。カズの体のすみずみまで知る男。1日の仕事を終えるとご覧のように几帳面な字でその日のカズの体の状態を記していく。と書いているところで、カズのレジデンスの同フロアの火災報知器が鳴った模様。みんな部屋から出てきたらしい。消防車もやってきた。が、部屋の中でポップコーンをやったお馬鹿さんがいて、鳴ったとのこと。人騒がせな。明日は、いよいよ初ゲーム。なかなか出口の見えない仕事を放り投げて行くことに。


 またまたホテルでひたすらパソコンに向かい続ける。まる2日間こんな状態。シドニーにいったい何しに来たんだろう、という感じ。明日は午前練だが、これにもとても行けそうにない。一本、また一本と原稿を上げてはいるのだが、まだまだゴールは遠い。カズからももっともっと話を聞きたいのだが、それすらままならない。日曜日のゲームはもちろん見に行くが(これに行かなかったら本当に何しに来たのかわからないから)。イタリアでの初戦、クロアチアでの初戦とカズの初戦は一応全部見ているしね。ついでに言えば、カズの出場した93年ワールドカップ予選も、97年の予選も、全戦見ています(自慢)。明け方ようやく「Number」の原稿を入稿。昔書いた「Number」のコピーを見ていて懐かしくなる。最初に「Number」に記事を書いたのは80年代の終わり頃だったから、もう15年以上も仕事していることになる(1年のブランクとかもあるけれど)。さあ、気分を入れ替えて次の原稿に向かうとしよう!


 昼前からホテルの部屋で原稿を書き出し、夕方までに東京に2本送信する。カズの練習取材はお休み。夜、MD起こしにとりかかる。ものすごく早いペースで仕事をこなしている自分に感動。まあ、尻に火がついているだけなのだけれど。夕食はルームサービスで温野菜とエビのカクテル。いずれもおそろしくまずい。ルームサービスを一人で食べるというだけでも味気ないのに、この味ではわびしささえ感じてしまう。そんなとき友人から電話で「和食でもどうよ」というお誘い。ふらっと出てしまいたくなるが、ぐっとこらえ、再びパソコンに向かう。明日はおいしい和食にありつけるのか。



 午前中、「Number」の撮影のため、カズとクルマで移動。車中で「一時代を築く人とはどういう人か」といったような内容の雑談。撮影終了後、帰りの車中で、「もうずっと話をしてきて、改めて一志さんに話さなくても大丈夫でしょ。十分書けるでしょ」と言われつつ短くも濃いインタビュー。
 カズは午後1時からシドニーFCの練習に参加。炎天下でみっちり2時間の練習。その後、再び「Number」の撮影のために少し離れたシドニー郊外の海岸へ。リゾート地のような素晴らしい場所。何億円もするという家々が立ち並ぶ。ホテルに戻り、私は今回の移籍に関わった代理人の方からお話をうかがう。「移籍の真実」みたいな話に。
 夜、明日帰国する伊藤ひでりん、関カメラマン、現地でコーディネートしていただいている方(綺麗な海岸へと導いてくれた人)と日本人が経営するイタリアンへ。★3つというわけにはいかないが、満足できる味。ひでりんから「写真はばっちり、あとは原稿ですね」と脅される。しかし、深夜、友人に導かれるまま原稿どころではない場所に連れ込まれ、合法的なトランプ遊びをしてしまう。しかも、なぜか運が味方についてしまい、さしたる投資もしないまま延々とエンドレスの戦いに。まったく何やってんだか。


 朝、シドニーに到着。先に入っていた「Number」の伊藤ひでりんとカメラマン(女性)の関さんと合流。積み残しを大量に抱えたままのシドニー入りで、気分は重い。ひでりんからは「ブログなんか書いている場合じゃないですよ」というきついお言葉。しかし、そう言われるとなぜか書きたくなる。そして実際書いている。反抗的逃避行動。
 チームのメディカルチェックを受けたカズは、午後1時半から記者会見へ。私はといえば、ベッドでまどろみ、ひでりんからの電話で起こされる。あわてて飛び出すと、カズやチーム関係者と同じエレベーター。カズもやや眠たそう。会見は海を見下ろすホテルの最上階で。夏を前にした南半球の風が気持ちいい。「ジェノヴァのときの会見も、こんな海が見える同じようなところでやったな」とマネージャー。ジェノヴァから早11年、38歳のカズはまだいつ終わるとも知れない旅を続けている。そして私もその旅に相変わらず同行している。まさに人の引力。