気がつけば早11月。これまで20日間もブログを書かなかったことは一度もなかったが、いろいろと立て込んでいてついにこんな事態になってしまった。この20日間にいくつかの締め切りがあり、不愉快な思いをする出来事もあり(半分以上は引き受けてしまった私に責任があるわけだが)、小林武史氏、佐野元春氏、ウェイトリフティングの三宅宏美選手といった素敵な人々のインタビューがあり、さらには旅もありと、まあ、慌ただしい日が続いていたわけである。と書きながら、実はたったいまも締め切りの真っ最中で、ブログを書いている場合ではないわけだが、「一応、私、生きてます」という証のために記している。1日からは上海に植樹取材に行っていた。DSC00412-2.JPGこれも詳細を書きたいところだが、いまはその時間がない。簡単に言えば、植樹祭自体は歪なイベントだった。それに関連して、中国という国が様々な問題を内包していることも改めて実感した。オリンピックはやはり北京でやるべきではなかったのだろう。どんなに華やかな大会になったとしても、闇の部分があまりにも大きすぎる。DSC00437-2.JPGただ、上海の3日間は植樹の仲間たち(まじぇる会)との交流もあって、それなりに楽しくはあった。
 上海から戻ってきて数時間後の早朝、私は羽田にいた。庄内の食ツアーである。これも詳細を記すととてつもなく長くなってしまうので割愛する。老若男女13名の仲間たちDSC00534-2.JPGとの旅は、楽しく、気持ちも解放された。奥田シェフ、中澤親方という2人の巨匠DSC00597-2.JPGに囲まれた贅沢な食の旅である。庄内の食材を腹に収め、自然を満喫した旅については、ちょっと余裕ができたときに、改めて書きたいと思う。本当に、他にも書きたいこと、訴えたいことは山ほどあるのだが。本日は、まずは簡易報告まで。
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 朝シンガポール着。インドとの喧噪とは別世界の清潔で猥雑さのかき消された景色と街の雰囲気に、少しの不気味さを感じつつ、でもほっとする。DSC00262-2-2.JPGシンガポールでは、現地のヘッジファンドに出向中の若い女性にインタビュー。若く高い志がまぶしく、気持ちいい。2回の夕食は、鮨屋と中華。訪れた鮨屋は、ほとんどのネタを築地と九州から仕入れていた。現地のバブルな人々が行く店というのが納得できる。値段も高い。在住の人以外は行くべきではないのだろう。私がもしシンガポールに住んでいたら、月に一度の贅沢として訪れるかもしれない。しかし、東京の鮨屋と比べれば(比べるのもかわいそうだが)、その技が劣っているのは事実で、しかしながら、客は入るわけで、今後現在のレベルを維持するのは至難と見た。現地に住む友人お勧めの中華は、雰囲気もよく、旨かった。北京ダックがウリの店だが、私が鳥嫌いのため、同行者も遠慮して頼まず。今回の同行者は、ディレクターが辻拠j氏、カメラは渡部さとる氏。ちなみに本ブログの顔写真は、渡部氏が雑誌で撮ってくれたものをご厚意で流用させてもらっている。食事後、深夜までホテルでインタビュー起こしを続ける。

 朝、ホテルを出て、また例のドライバーの運転でバンガロールの郊外の企業に向かう。相変わらずのクラクション鳴らしまくりの運転。クルマのノーズをどう強引に他のクルマと他のクルマの間に突っ込むかがこの街でのドライビングの秘訣である。しかし、昨日は気がつかなかったのだけれど、よく見ていると、彼の運転は他のドライバーに比べて、さらに少し乱暴な気がしてきた。接触するかしないかの数センチの読みが他のドライバーよりさらにイカレているのだ。DSC00142-2-3.JPGそんなことを思いながら見ていると、また接触が起きた。隣のクルマの前に鼻先を突っ込み、こすったのだ。たいしたキズはなかったようで、しばらく文句を言い合って収拾したが、クレイジーな街の中でもこのドライバーがクレイジーだったというわけである。DSC00150-2-3.JPGそれにしても、この混沌の国で事業をやっていくことの大変さを改めて思う。今回取材した企業の方は、この国でロジスティックス事業を行い、輸送ドライバー育成のマニュアルをはじめ、オペレーションを定着させたのだ。その苦労はいかほどのものだったか。取材は早々に終わり、その企業の方と我々スタッフは、バンガロール市内を観光。DSC00189-2-3.JPG衝撃だったのは、撮影と見学を兼ねて訪れた市場だ。食品、衣料、生活用品とありとあらゆものが売られている巨大市場である。裸足の物売り、物乞い、市民、制服姿の女子学生がごちゃまぜになって行き来している。そこに荷物を運ぶ三輪車、オートバイがクラクションを鳴らしながら突っ込んでいく。DSC00202-2-3.JPGいろいろな国の市場を見てきたが、ここはそれらの中でも最も激しく、躍動的で、汚く、混沌としている。そして、実感するのは、圧倒的な貧しさである。貧しさが奥深い。差別、区別が厳然として存在している。よくも悪くもプリミティブである。とにかく、この雑踏と人波自体が、綺麗と整然の中に浸っている日本人には衝撃でないはずもない。DSC00221-2-3.JPGとりあえず、表層的なことだけを書いたけれど、同じ地球にあの街が市場があるということは、これからいつも思い出すのだと思う。まあ、これ以上書くと偽善的になるのでやめておくけれど、自分の胸には刻み込みました。たぶん、一緒に行った日本人みんなが同じようなことを感じていたと思う。夜、スコールを浴びたあと、深夜便でシンガポールに向かう。
 昨晩遅く、自動車関連のロジスティックスに関わる方の取材のためシンガポール経由でインド・バンカロール入りした。インド行きと聞いてまず思い浮かべたのは、牛がのんびりと歩き、人々が混沌とあふれかえり、細い路地が入り組んだ猥雑な町並みが続くというステレオタイプのもの。しかしその後、人から聞くところによれば(Chiというガイドブックにも)、バンガロールはIT産業などが集まる近代的都市だという。人口600万人。インドと聞いてすぐに「牛と混沌」といったありきたりの情景を思い浮かべた自分の陳腐さが可笑しい。時代は変わっているのである。で、空港に到着し、パスポートコントロールに向かったわけだが、そこはやはり、近代的な都市の入り口とはとても思えないところだったのである。さらに一歩外に出ると、迎えに来た人の名前を書いたA4ほどの紙をもった人が100人、いや、200人ぐらいぐわーっと待ちかまえている。DSC00083-2.JPG同時にクルマの喧噪が襲ってくる。わけのわからぬ怒声も飛び交う。投宿先のホテルは未舗装路を進んだ先にあった。高級ホテルではあったが、周りからは完全に浮いた存在である。そう、もうイメージ通りのまったくの混沌都市だったのだ。
 そして本日、企業の方にホテル内で取材をし、昼食後、バンカロール郊外にある企業に向かったのだが、もう街の交通はめちゃくちゃ。いままでカイロだの南イタリアだのでかなりすごい交通を見てきたが、初めて、ここでは私はハンドルを握れない、と思った。人、二人乗りバイク、三輪タクシー、バス、乗用車が激しく入り乱れながら走るのである。クラクションは日本人の千倍ぐらい鳴らしまくっている。よく交通事故が起きないな、と思ってインド人ドライバーに身をゆだね乗っていると、やはり、事故は起きた。私たちの乗るクルマと隣のクルマが接触したのだ。両ドライバーが降り、言い合っている。こちらのクルマのドアが凹んでいる。しばらくにらみ合ったあと、互いが互いのクルマのナンバーを手に直接メモをし、別れる。このあとどう決着がつくのかは知らないが、幸い私たちは無事だった。その後、私は、前を見ずに横を走るクルマだけを見ることにした。ぎりぎりのブレーキ、すれすれのバトルに神経がやられてしまいそうだったからだ。それでも、ちらりと前を見ると、追突しそうになったり、人をはねそうになったりを繰り返している。我々のドライバーに問題があるわけではない。みんながみんなそういう運転なのだ。クルマに乗っているだけでひどく疲れた。
 本日の発見は、カレーはどこでどんな種類のものを食べても美味しいということ。豊富な種類の野菜カレーにも感動した。夜みんなで飲んだインドの赤ワイン「GROVER VINEYARDS A RESERVE」も思いのほかうまかった。食は問題なし。もちろん、生水、生野菜はみんなの忠告通り口にはせず、でしたが。

 貴重な1日は、パスポート騒ぎで幕を開ける。9月中旬、急遽取材でインドに行くことになったのだが、実は10年パスポートが今年の春で切れていた。1997年、オマーンに行くときに作ったパスポートだ。もちろん改めて申請すればいいわけだが、実は、私の本籍はいまだ長野県大町市にあって、戸籍謄本(抄本)を郵送で取り寄せなければならないのだ。速達でのやりとりに最低でも3日はかかってしまう。気が付いたときに作っておけばよかった。そろそろもう20年以上住んでいる渋谷区に本籍を移した方がいいのかもしれない。とにかく、すべてが万事こんなふうにバタバタだ。それでもこの日、終日かかって原稿を40数枚書き上げる。
 ホテルで朝食をとったのちに、由良漁港へ向かう。何が待っているかわからないが、地方に来たらとりあえず漁港へ、は私の中のルールだ。もちろん、中澤さんに異論があるはずもない。しかし、この漁港では夕方に市があるため、ほとんどの船は出航していて港にはいず。たまたま小舟でもずくを取りに行って戻ってきた老漁師、そして、その友人の漁師をつかまえ、立ち話。漁師との会話はいつも楽しい。漁師同士が話し始めると、言葉を理解することは不可能になるが、我々には、少しわかりやすく話してくれる。取ってきたばかりのもずくをその場で試食させてもらう。やはり、夏場は岩牡蠣が旨いらしい。昨晩「アル・ケッチャーノ」で食ったやつだ。いま、東京で出回っているこってりした岩牡蠣はほとんどが養殖ものだ。ここでとれるものは言うまでもなく天然。あのこってり感が少ない分牡蠣自体の繊細な旨味を感じることができる。これも発見。静かな港で異国に来たような不思議な感覚を味わい、魚が集まる市場へ。丹念に見て回る中澤さんにくっついて魚を見る。もちろん種類はかなり少ないが、築地より相当安いらしい。中澤さん、店の人に話をつけ、いい岩牡蠣が出たら送ってもらうことに。市内に戻り、鮨屋へ。鶴岡の昭和通りには20軒もの鮨屋が集まっている。その中でもまともとおぼしき店に飛び込む。家族でやっている鮨屋で、感じもいいのだが、しかしやはり鄙。せっかくのいいネタが生かされていない。「その魚をどうやって出してあげれば美味しくなるかということが考えられていない。新鮮なものを切って出しているだけで…。酢で締めたり塩したりほんの少しだけ手を加えればものすごく美味しくなるのに…」と中澤さん。彼らが進化し続ける東京の鮨を食べたら何を思うのだろう、と2人で考える。別に東京が偉いとかではなく、そして、進化が正しいとか言うのでもなく、彼らの在り方を否定するでもなく、まったく外界を知らず止まってしまっている世界と東京の差異を痛感し、深く考え込んでしまったのである。中澤さんは、むしろいま東京で展開されているグルメブームには冷ややかで、料理人がメディアにもてはやされ、スター化してしまったことに対しても一歩引いて見ている。あるいはグルメ本やネット上で点数化されてしまう飲食店の在り方にも疑問を持ち、飲食を取り巻く環境についてずっと違和感を感じ続けているのが中澤さんなのだ。もちろん、自分自身、鮨屋としてどうあるべきかも頭から離れない。庄内空港内、羽田空港からのモノレール内でもインタビューを続ける。話は尽きない。有楽町で別れたあと、講談社の小柳津純氏と今週予定されている取材について簡単に打ち合わせ。夜は、例の蒸し鍋で野菜を中心にした軽めの食事で調整する。
 昼、羽田空港で四ッ谷「すし匠」の中澤圭二氏と待ち合わせ、山形庄内空港に向かう。鶴岡の「アル・ケッチァーノ」を訪ね刺激をもらいつつ、インタビューをしようというおいしい旅。庄内空港からプリウスで鶴岡市内に入り、まず、鮨屋に向かう。あてにしていた鮨屋はあいにく休みで、適当に看板を見つけて飛び込む。ネタは悪くないが、ご飯に問題がある。DSC01056-2.JPG酢をきかせた白いご飯にお刺身がのっている感じ。融合がない。米はいいのだけれど。いくら素材がよくても旨いとは限らないところが鮨のおもしろいところ。ホテルでチェックインをすませ、鶴岡駅前をぶらつき、ショッピングモール街の中でビールを飲みながらインタビュー。ホテルに戻って一休みしてから、「アル・ケッチァーノ」へと向かう。中澤さんとシェフの奥田政行氏が初対面のご挨拶。もっとも、正確に言うと2人は初対面ではなかった。日本の100人の料理人がフレンチ、そば、ラーメン、和食など各分野からそれぞれ選出されたことがあって(超人シェフ倶楽部)、中澤さんは、鮨部門の4人の中の一人に、奥田さんはイタリアン部門でそれぞれ選ばれ、同じパーティに出席し、記念撮影(全員での)までしていたのだ。少しの雑談のあと、いよいよ、めくるめくピアットの世界に。石鯛の冷製パスタ(パスタの上に石鯛が載せられているわけだが、これはいわば、鮨職人である中澤さんへの挨拶がわりというところだろう。どうだ、しゃりならぬパスタと刺身の融合は?と。…たまたま一品目がこうなったに過ぎないのかもしれないけれど)DSC01058-2.JPGを皮切りに、庄内産岩牡蠣のモロヘイヤ和えDSC01059-2.JPG、サザエと小松菜のスープなどなど奥田ワールドが次々と繰り広げられていく。並大抵ではない舌力(?)を持つ中澤さんだが、思っていた以上の味に、ときに絶句すらする。うっとりと目をつむり味を確かめる。そして、瞬く間に3時間余が過ぎ、気がつけば、我々は13皿もたいらげていたのだった。これでどうだ!、と押しつけてくるような強引さがないにもかかわらず、しかし、確実なインパクトを皿に載っけてくるのが奥田さんの料理である。とにかく記憶に残る皿なのだ。食後、地元を知るにはスナックだろうと、老婆が一人立つカウンターで一杯飲み、まったく人影のない街を流し、ホテルに戻る。

朝、7時20 分の便で山形・庄内入り。山形には何度か来ているが、庄内方面は初めて。今回は、スシケンの山形ツアーで、メンバーは、スシケンを中心に全9名。中野伸二夫妻、寺中桂子、R、増沢吉和、山内健太郎、狩野景子という20代、30代、40代、50代の面々。本旅の主たる目的は、鶴岡の「アル・ケッチァーノ」での晩餐。「アル・ケッチァーノ」は、いま、日本で最も注目を浴びているイタリアンレストラン。結論から言ってしまえば、最高の旅だった。DSC00900 H.JPGそして、奥田政行シェフの両手から放たれた料理はかつて食べたどんなイタリアンの皿とも一線を画すものだった。
 ガイド役の河井さんの導きで山に向かい、奥田さんと対面。すぐにクルマで山の中へと入っていく。途中、クルマを止め、森の中へ。奥田さんは、山猿のように木々の中を駆け抜け、あっという間に山菜を集めてくる。DSC00814 A.JPG
どうやら、これが今晩の食卓に供せられるらしい。私たちは、山中に自生する山アスパラなど様々な山菜を積んでは食べるということを繰り返す。DSC00815 B.JPG
甘いものもあれば苦いものもある。奥田シェフは、ときに食べてはいけない山菜を口にしてしまい、気絶したこともあるらしい。チェレンジャーなのである。好奇心を抑えられない人なのである。奥田さんと別れた私たちは、海岸沿いの鮨屋で昼食をとったあと、空港近くの松林で、地面を這うようにある食材を探す。それは、見たことも聞いたこともない、「松露」と呼ばれるものだった。全員でなんとか30個近く集める。DSC00865 D.JPG
いったん鶴岡市内のホテルにチェックインし、7時、「アル・ケッチァーノ」に入店。DSC00869 E.JPGほどなく、めくるめく官能の世界がスタートする。ひらめき、味付け、リズムとすべてが完璧。強弱のついた塩味にもリズムがあり、意味がある。しかも、黒板には、書ききれないほどのメニューが書かれていて、そのどれもが自在に出てくるのだ。アンティパストからセコンドまでそれぞれ4品ほど用意し、フィックスとしているレストランとは大違いである。奥田シェフには、こちらの好みを言えば、何でも出してくれる圧倒的な力が備わっている。スピード、アイディア、キャパシティ、スキルともうありとあらゆる能力を持った狂気のシェフなのだということが、ひと皿たいらげるたびにわかる。凄い。先ほど我々が山中で食べた山菜が皿に乗り、松林で拾った「松露」がパスタにあえて出てくる。噛む回数をカウントし、最上のゆで時間を吟味して作られる料理。科学と魂が瞬時に見事に融和する料理は果てしなく旨く深い。私は、イタリアに1年滞在し、その後も10数回訪問し南北の街々を回ってきたわけだが、ここまで存在感ある料理には出会わなかった。もちろんいま、「アル・ケッチァーノ」の皿はどちらかと言えば野趣あふれる料理で、エレガントとは言えないのかもしれない。しかし、奥田シェフは、間違いなく、エレガントなものだってさらっと作ってしまうに違いない。紛う方なき天才なのだ。こうして結局、私たちは、気がつけば一人15皿もの料理をたいらげていたのだった。
 ちなみに、何十いや百を超えるかもしれない皿から私たちが選んだ(選んでもらった)15皿の内容は以下の通り
1 稚鰤(わらさ)のカルパッチョ+新タマネギ
2 石鯛+こがしたショデ(山アスパラ)
3 桜鱒のルイベのカリカリ焼き+フィノッキオ+カタバミ+オレンジDSC00879 X.JPG
4 焼き酢締め鰆(さわら)+庄内野菜<ニンジン、インゲン、キャベツetc>
5 うちのヤギの自家製リコッタチーズとフレッシュトマトの冷製カペリーニDSC00904 I.JPG
6 松露とアンチョビ、アーリオオーリオのパスタ
7 孟宗筍+はえぬき+イノシシのパンチェッタ ゴルゴンゾーラ、白みそ、日本酒のソース
8 焼いたヤナギガレイ+アスパラガス
9 イシモチのサルシッチャ仕立てナス巻き+レンズ豆DSC00887 G.JPG
10 フォアグラとサクランボ
11 イノシシ肉とニンジンの葉
12 グミ貝+インゲンとバジルのペースト
13 月山筍のフリット
14 アルケッチァーノ風マチェドニア ミント味で
15 月山見立てのデザート+アイスクリーム
その他肉苦手用に
月山筍+ばいか藻+ニンジン葉
タマネギとネギのオイルソテーDSC00889 Y.JPG
 翌日の夕方、羽田空港に到着すると綾戸智絵さんより「鮨屋を紹介してほしい」と電話が入り、綾戸さんの出してきた条件に合う高輪台の「子史貴」を選び、綾戸さんの母堂と3人で出かける。短く濃厚な夕食時間を過ごし早々に解散。綾戸さんもまたスピードの人。山形訪問が早くも大昔に感じるような40時間がこうして終わる。

 朝6時にカズのレジデンスへ。トレーニングに向かう前、カズは昨日までと同じ所作を愚直なまでに繰り返す。バランスボールに乗り、膝をケアし、足首のストレッチを行い、ゴムで負荷をかけた足を動かす運動を儀式のようにこなしていく。口にしたのはバナナだけ。部屋に置かれたiPodからは、昔の歌謡曲が流れ続けている。昨日も書いたけれど、毎日こんなことをひたすら繰り返しているからこそ、まもなく40歳にならんとする体はキープされているのだと改めて思う。さぼろうとか、休もうとか、ズルしようとか、そういう気持ちがカズの中にはまったく芽生えないのだろう。いつかカズが言っていた「結局は、自分に返ってくるし、自分しかないんです」という言葉を改めて思い出す。練習を、日課を落とせば、そのツケは必ずや自分に返ってくるということをカズは身をもって知っているのだ。朝日が昇る中、20分のランニングを終えると、続いて、軽いリフティング、ボールを使っての反転練習、ステップを踏んでポールを左右にかわして進むサーキットトレーニングへと入っていく(写真がないのはDVDを回しているため)。すべてが横浜FCの喜熨斗コーチの練習メニューで、回数、時間とも実に細かく決められている。サーキットトレーニングを一種目やっては、軽いストレッチという繰り返し。朝いちで行う練習にしてはかなりのハードなものだが、これがグアムでの最終練習とあって、一気に追い込んでいく。こうして朝8時前、グアム・レオパレスリゾートでのすべての練習を消化し、スタッフ全員で記念写真を撮り、10日間にわたる自主トレが終了した。

  成田空港で、カズチームの面々は解散。皆10日間の心地よい疲れと充実感を持って、自宅へと帰っていった。私はカズの運転するクルマに同乗し、成田から都内へ。車内で自主トレの感想などを聞かせてもらう。グアムの話だけでなく、これまでの自身の歩みを振り返るような話も問わず語りに出てくる。たとえば、88年のキンゼ・デ・ジャウーでの1年がプロサッカー選手としての大きな転換点となったこと、99年のクロアチアでまた別のギヤが入ったことなどなど。西麻布でカズと別れ、私はそのまま、近所の極々庶民的なお鮨屋さんへと向かう。最近は雑誌にも決して紹介されることのないような、このドメな感じの地元鮨がすっかり気に入っている。そりゃ味は多少有名店よりは落ちるものの、極めてリーズナブルだし。

 

 昨日撮影に失敗したので、今日こそはという思いで、まだ暗い早朝、再びカズのレジデンスに向かう。グラウンドでのランニングの前に、ゴムを足首に巻き付け動かす運動や、電気器具を使っての治療とか、施すことが結構ある。こうした細かいケアこそが体を長持ちさせるコツなのだろう。いや、逆に言えば、若いときには必要がなかったことがいまは必要になっているのだとも言える。いずれにしても、ハードな練習を受け止める体をキープするのは並大抵なことではない。毎朝6時からこんなことをしている選手はそうそういないだろう。そんな光景をDVDに納め、レジデンスを出てグラウンドに入るまで回し続ける。今度は、ありきたりのドキュメンタリーの冒頭シーン程度はちゃんと撮ることができた。練習は、昨日と同じ。20分間、黙々とトラックを走り続け、軽いストレッチをこなす。今日のランニングには、大宮アルディージャの藤本主悦選手も加わった。
 朝食後、再びグラウンドへ。6時台の日差しとはうってかわって、肌を射るような日差し。日焼け止めクリームを塗ってもブロックできるかどうかというぐらいの強い日光だ。


そんな強い日差しのもと、ボール回しなどの練習をみっちり1時間余こなす。もちろん、30度は超えているだろう。
 昼食後、ホテルから40分ほど離れた「南太平洋戦没者慰霊公苑」をカズ、関根氏とともに訪れる。グアムに行くなら、是非訪れたいと思っていた場所だ。グアム島は、1941年12月8日、日本軍が米軍から奪取し、以後1944年8月11日の玉砕に至るまで日本が統治していた島である。米軍の猛攻撃で、サイパンに続いて結局日本はこの島を手放すことになったわけだが、この島だけで2万人近くの日本人が亡くなり、米軍も同等の被害を出した。現在人口16万人ほどの穏やかな常夏のリゾート島だが、60年前には、この島で、熾烈な戦いが繰り広げられていたわけである。その辺の感想はまた後日書きたいと思うが、このリゾート島でキャンプを張ったカズが、弔いに行こうと一緒に来てくれたことが私には何より嬉しかった。
将校たちが最後に自決した防空壕にも、カズは率先して入っていった。日本代表として先頭で戦ってきたカズが、いまの日本の繁栄の礎となった人々に敬意を表することは、すごく意義があると思うのだ。私たちは、慰霊塔に石川さんの作ったおはぎと缶ビールを置いてきた。これからカフェでまた話しをするので、本日の感想はここまでということで。


 朝6時前に起きだし、カズのレジデンスへ。外はまだ真っ暗だ。レジデンスを出てくるカズを追う。今回、私は、スチールに加え、DVDカメラも回している。まずは、朝出てくるシーンをおさえるべきだろうと思い、回したのだが、実は、焦ってスイッチを押したため、最初の数分はスタンバイのまま。いいシーンだったのに…。グラウンドに出たカズは、PUMAの富田さん、喜熨斗コーチ、関根マネージャー、マッサーの竹ちゃんと5人でランニングを始める。カズチームのすごいところは、全員がこうして練習に参加することだ。関根マネージャーは、毎年行われるこの自主トレのために秋口から走り込んでいるほどの力の入れよう。30分のランニングを終えて、いったんレジデンスに戻って朝食をとり、

9時半から再びランニング、ダッシュなどの練習に入る。午前9時半とはいえ、おそらく気温は30度を超えているのではないか。グラウンドに立つと体感温度はそれ以上で、ただカメラを回しているだけの私の体からでさえ、汗が噴き出してくる。そんな中、カズは、喜熨斗コーチの指示を受けながら、自分の体を痛めつけるかのように走り続ける。顔にはたっぷりと日焼けクリームを塗っている。1時間も外に立っていれば十分にヤケドを負うような日差しなのだ。


 いずれにしても、あと1ヶ月ちょっとで40歳を迎える人のトレーニングとはとても思えない。
 
 昼ご飯のお雑煮やサラダをいただいたのち、敷地内にある筋トレ場でのトレーニングを見る。ボールを使ったさまざまなメニューを喜熨斗コーチのもと黙々と続けていく。ときに苦痛に顔を歪めながら、息づかいを荒げながら、一瞬一瞬を120パーセントの力で埋めていくカズ。

今日初めて丸1日グアムでの練習を見たわけだが、とにかくその追い込み方は尋常ではなかった。夕方、昨日同様、ホテル内のカフェにパソコンを持ち寄り、遊ぶ。






 朝6時33分発の成田エクスプレスに乗り、成田へ。グアムに向かう。6日からグアムで自主トレに入っているカズの取材だ。

 ホテルに到着したときにきは、すでに、この日の練習は終了していて、サウナから出てきたカズらとホテル内のカフェでお茶をすることに。カズが滞在しているレジデンスは、ワイヤレスネットワーク外らしく、通信可能なホテル内でパソコンをいじりながらのよもやま話。

 夜、2度にわたってスコールにみまわれる。真冬の日本から来た身としては、この暑さが嬉しくもあり、しんどくもある。

 朝一番の便で広島に向かう。前夜、友人たちと飲んでしまったため、飛行機に乗った途端に爆睡した。本日は、またまた慈姑(くわい)の取材。広島県福山市は、慈姑生産日本一の街。くわい出荷組合長の案内のもと、慈姑田を見て回る。今日は初掘りの日なのだ。

 取材終了後、鞆の浦(とものうら)の「鴎風亭」に向かう。鞆(とも)を訪れるのは初めてだったが、素晴らしい土地。美しい景色を眺めながらの美味しいランチに「dancyu」の江部副編集長、小原カメラマンも大満足だった。

 夜は、福山出身のM嬢に勧められた「和処 なかくし」で食事。ここがまたまた大当たり。駅から離れているし、紹介でもない限り絶対に足を運ばない場所にある。やはり、勘も大切だけど、通の確かな情報も欠かせない。すべて美味しく、抜群に安く、若い板さんの感じもよかった。もし、こんな店が我が町にあれば、間違いなく常連になるところだ。天満屋の「倉甚」で練り物を買ってオマケにもらった茹で蝦蛄も嫌がることなく出してくれたし。気分よく店をあとにする。翌日は早朝から初出荷の取材があるため、街の探索はそこそこに、日付が替わる前にホテルに戻り着く。

 昨晩は、表参道「圓」で新潮社の佐藤朝信氏、初対面のエディター・森山敬子さん、ランダムハウス講談社の三枝美保さん、「週刊ポスト」の山内健太郎氏と宴。解散後またまた80年生まれ山内君、82年生まれ三枝嬢と3人でさらに語る。と言っても、この時間帯に話したことは、いつものようにほとんど覚えていない。三枝嬢のハッピーな話がなんとなく記憶にある程度。
 水分で重い体を引きずり、羽田近くの大師橋下の港へ。穴子漁師の安藤昌利さんの漁船に乗せてもらい、東京湾に出る。都内の漁師はもう本当に数えるぐらいしかいない。安藤さんは穴子一本の漁師で、江戸時代、いやもしかしたらそれ以前からこの東京湾(江戸湾)で代々漁を営んできた。羽田沖の穴子は人気で、鮨屋には欠かせないネタだ。もしかしたら、安藤さんの獲った穴子をどこかの店で食べたことがあるかもしれない。そういえば、前夜、山内君、三枝嬢と入った居酒屋で、「羽田沖穴子」と書かれた煮穴子があったので頼んでみた。しかし、歯応え、味からして、あれは絶対に羽田のものではない。おそらくは中国産の養殖穴子だ。表示違反である。

 羽田空港を海から見るのは初めてだ。アクアラインのちょうど真ん中あたりの漁場に着くと、280本もの筒を20メートル間隔で海中にぽんぽん落としていく。筒の中のエサはイカだ。

エンジンをかけたまま、ときどきハンドルを操舵しながら、筒を投げ込む作業を続ける。全部安藤さん一人だけやる。私は軽い2日酔い状態だが、気分は悪くない、どころか海風が気持ちいい。投げ入れた筒は、明日の朝、回収に来る。だいたい半分ぐらいの筒に穴子が入っているらしい。昔は、一本の筒に2本の穴子なんてこともあったというが、やはり獲れる数は減っているようだ。

そして、安藤さんの春の漁場は、まさに、いま拡張しようとしている羽田空港の滑走路の下あたりにあるのだという。滑走路が出来たら、お手上げとのこと。切実だ。それにしても東京湾、思っていたよりもスケールがでかかった。机上であれこれ考えすぎていたような気もする。やはり、現場に出ないとわからないことは多い。

今回のヨーロッパ内の総走行距離はなんと4200キロ。私の今年の「環境マイレージ」はこれによって使い果たしてしまった感じすらする。とにかく実によく耐えてくれたなあ、と思いつつ、ミラノ・マルペンサ空港のAVISの駐車場にオペルを滑り込ませると何やら白煙が上がっている。まさか、と思い降りてみると、煙は私のつかの間の愛車のマフラーから出ている。AVISの人々もすっとんできて、「煙は初めてか」と訊くので「もちちろん、いま初めて」と返す。さらに「このクルマはディーゼルだけど、ガソリンを入れ間違えたのではないか」と責められるが、私はガソリンスタンドでしつこいほど確認して入れているので間違えるわけがない。それでも先方は「メカニックに見てもらえば間違えたかどうかはわかるから」とほざいている。さらには、感じの悪い女の係員はクルマの傷を丹念に調べ出している。走行中に小石ぐらいは飛んだかもしれないけれど、どこにもぶつけてないので恐れることもない。私は、本当にギリギリまで頑張ってくれたこのオペル君の根性に感謝しつつも、疑惑の目で見続けるAVISの人々に怒りを覚えていた。「メカニックがガソリンをチェックするから」と帰り際にも念押しされる。まったく感じ悪いな。走行距離が多かったのは事実だけど、そっちの整備にも問題があるんじゃないの、と愚痴りたくなる。実は、これまでもAVISとはあまり相性がよくなくて、モナコの近くでマフラーが落ちてひどい目に遭ったり、電動ガラスがしまらなくなって雨にさらされたりと他のレンタカー会社では味わったことのないようなことが何回か起きていたのである。そして、今回は私が悪者である。畜生とほざきながら、重い荷物をガラガラと引きながら空港内に戻ろうとしたとき、はっと思いついた。そうだ、最後に満タンにしたときの領収書があるのではないか、あれには、入れたガソリン名が書いてあるのではないか、と。私は恐る恐る財布から領収書を取り出した。というのも、係員から「ガソリン間違えたでしょ」と散々言われ、少し自信が揺らいでもいたのだ。そして取り出した領収書には…はっきりと「Diesel」と書いてあったのである。私は思わずその係員の顔にその領収書をつきつけていた。半ばガソリン間違いを確信していた係員たちは少々がっかりしたような顔をして、事実を認めざるを得なかった。女の係員なんてまさかという感じですっとんで来て領収書を見ていたからな。それにしても、もし、クルマが何キロか手前で止まってしまってたらどうなっていたのだろう。果たして飛行機に間に合ったかどうかも怪しい。本当に紙一重の結末でした。

 朝、トレヴィーゾの同じホテルに泊まっている日本人女性と言葉を交わす。2部屋しかないホテルで、となりは映像関係の事務所になっている。その映像関係の事務所に研修に来ている女性で、イタリア事情などを聞く。イタリア語ペラペラ。うらやましい。私はちゃんと学んでないからな。
 クルマでトレヴィーゾから60キロほど北に行ったBellunoという小さな街に向かう。昼食を「La Buca」というミシュランには載っていない店でとる。店内は地元の人でいっぱいだ。食べたのは、伊勢エビのフェットチーネだったが、かなりうまかった。広場でたまたまワイアレスのインターネットに接続でき、ようやくブログを更新する。1時間2.95ユーロ。私はこれまでワイアレスをまったく使ったことがなかったのだが、これからはときどき使うことになりそう。

 トレビーゾ市内のインターネットカフェに行くも、私のパソコンをつなぐことはできず。ならば、と外に出て近くのオフィスのワイアレスに接続するもうまくいかない。本日は猛烈な暑さのあと、見たこともないような一瞬の激しい嵐がこの北イタリアの街を駆け抜けた。体感気温も一気に10度落ちたような感じ。子どもたちが「テンペストだ」と騒ぐぐらいのpazzo tempo。
 夜、クルマで市内に出る。というのも、昨日は飲むことを考えて、タクシーで移動したのだが、帰りのタクシーがまったくつかまらず、苦労したのだ。ミシュランに出ていたトラットリアでまたまたボンゴレを食う。味もサービスもきわめて凡庸。本当にミシュランの基準もいい加減だな。あくまでも参考程度に、ということなのだろう。

 畜養会社所有(社長所有?)の高速ボートで強烈な朝の日差しを浴びながら沖に向かう。小さな島が点在する中を走り抜けると
直径50メートルの大きなケージが目の前に現れる。

(ケージの中央で撒かれているのはエサとなるイワシ)
目をこらして見るとケージの中には何十何百というマグロが回遊している。地中海や大西洋で捕獲したマグロを大きな網に入れたままここアドリア海まで運んできたのである。ここで畜養された1500トンのマグロは、すべて日本に輸出される。日本人のマグロへの飽くなき食欲がこうした巨大産業を生み出しているわけである。船上でテクニカルディレクターにケージの状態などについて尋ねる。
 昼前、クロアチアを出、スロベニアを抜けて再びイタリアへと戻ってくる。やらなければならないことがいくつかあり、本当はすぐに帰国したかったのだが、帰国便がうまくとれず、結局、このあと5泊もイタリアにいることになってしまった。今回滞在するのは、トレヴィーゾというヴェネツィア近くの街。
街の中心から少し離れたホテルにいったんクルマを入れ、夕食をとるため街に出る。入ったのは、「Antico Torre 」という海ものを中心に出すレストラン。フランス産の生牡蠣、レモンとオリーブオイルだけで食べる小エビ、そして、いちかばちかで頼んだボンゴレのスパゲッティと、どれもこれも抜群に美味しい。大当たりである。カメリエーレはオーナーとおぼしき老紳士。この人がまた味があって素敵なのだが、何故かもう1人のフロアーを任されている女性(おそらくは娘さん)と折り合いが悪く、互いが互いに苛立っているのが手に取るようにわかる。こうした光景はよく日本でもみかける。厨房の中がギスギスしているとこっちも妙に落ち着かない。料理人もカメリエーレもわずか数時間限りの客前パフォーマンスなんだから、我慢してほしいよな。
 ここ数日の長距離移動や取材で、体は疲れ切っている。しかし、本夜からこのあと数日は義務はなし。自由に時間が使える。実に気楽である。

 朝、隣町のビオグラッドへ。今回のクロアチア訪問の目的は、マグロ畜養場(Tuna farm)の取材である。港町のカフェで手広く畜養場を手がける社長と対面。その後、社長自らの案内で少し離れた彼の会社を訪ねる。本来なら通訳をたてたいところだが、そんな予算もアテもない。そもそもこの田舎町まで来てくれる通訳なんて見つけるのが困難だろう。水産庁の方から紹介された築地の会社の社長の取引先という細い糸にもかかわらず、クロアチア人の社長は手厚く迎えてくれた。もっとも、彼の言っていることは大方理解できるのだが、こちらの聞きたいことがなかなか表現できずもどかしい。それでも数時間話しているうちに、なんとなくリズムみたいなものが生まれ、最後には、ナショナリズムの話をしているのだから、ある程度慣れも必要なのだろう。彼のマグロ船やオフィスでさまさざまな説明を受けたあと、彼が勧めるレストランで食事をとる。かなりの高級店だが、イタリアの観光都市の中堅レストランなんかよりずっと美味しい。クロアチアの白ワインもかなりいける。2日間いて気づいたのだが、クロアチアでは徹底してメイド・イン・クロアチアのものを出してくる。テーブルの上の砂糖も水もワインも貝も全部クロアチア製(産)。高速道路のサービスエリア内で扱っている商品もとにかく自国産のものばかりだった。そこにはこれから自分たちの国を立ち上げていくぞという強い意志が見て取れる。畜養場の社長からもまさにマグロという食材でクロアチアに富をもたらせようという意志を感じた。彼はいま、日本に向けて実に年間1500トンもの畜養マグロを送り出しているのである。もっとも、この畜養マグロに関しては、WWFやグリーンピースが否定的な見解を示している。私はちょうど10年前からWWFの会員になっているのだが、私の意見はこの点においてこの環境団体とは意見を異にしている。そんなこともあって(さらには鮨好きということもあって)、こうした一連の海の問題を調べてみたいと思ったわけである。ほぼ半日、英語で考え喋ったのは実に久しぶり。やや疲れはしたものの、知らないことを知る、知りたいことを知る欲望が途切れなかったせいか、社長といた8時間が不思議と苦痛ではなかった。一日中英語で話し考えていたせいで普段とは違う疲労感に包まれたことも確かだが。それにしても暑い。ホテルに戻った夕方6時の気温がまだ30度を超えている。日焼けした人々が裸同然の姿で海岸線を歩いている。終わりなき暑さにうんざりしつつも、人のつながりを実感できたよき一日。

 朝、イタリアを出てスロベニア国境を越え、さらにクロアチアへと入る。ともに国境のコントロールで厳しい顔をした役人からパスポートのチェックを受ける。クロアチアは実に7年ぶり。カズがザグレブのチームに移籍したとき以来である。クロアチア国内を走り出すとこの国の変貌ぶりに否応なしに気づかされる。いたるところが工事中なのである。とりわけ高速道路は、サービスエリアの建設、道路の延長と、どこもかしこも激しく動いている。何度か道を間違えながらも、夕方、ザダールから数十キロの海岸沿いの安ホテルになんとか辿り着く。荷物を置き、すぐにホテルのリコメンドに従い、レストランへと向かう。ドイツ人やイタリア人のリゾート地と化した海岸線のレストランゆえ、期待薄だったが、意外にもうまい。アドリア海のクロアチア側でしかとれない貝とイカのグリルを頼んだのだが、ともに新鮮で、疲れをふっとばしてくれるぐらいの味だった。日中35度あった海岸の街は、夜になっても気温がなかなか下がらず。