テレビを見ているとイライラ度数がどんどん上がっていく。愛人宅で狼藉を働きパフォーマンス記者会見を開く愚かな老人。ペテン師と罵り怒る幼き大尽と、罵られるこれまた小さき魂の男。食の未来なんてこれっぽっちも考えていないくせに、己を太らすためにもっともらしい蘊蓄をはき続け肩書きを増やしていく評論家。。テレビ画面では枚挙にいとまがないほどつまらぬ人々が自己主張を繰り返している。
 そんな中で、まったく無名だけどスゴイすごい人、に出会ったりすると興奮すると同時にほっとする。世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と。
 昨日、千葉の鴨川漁港を水産庁の上田勝彦氏と訪ねた。この漁港では風評被害はほぼ収まり、通常の漁が行われていた。朝4時、漁協に集合し、ミーティング。2隻の中型船に氷を積み込み出港する。船頭は坂本年壱漁労長。1967年生まれ。
 沖の定置網まで十数分、到着するやいなや、数十人の船員たちに的確に指示を出しつつ、黙々と自らも作業をこなしていく。小型ボートと中型船を海上で飛び乗りながらの緩急ある言動。漁のすべてを知っているという自信が背中から滲み出ている。慌ただしくも張り詰めた作業の中でも、怒鳴ることもなければ、慌てたり、混乱することが一切ない。船員たちは、すべてをこのリーダーに任せていれば安心とばかりに、彼の言葉に耳を傾け、海との駆け引きに集中する。素晴らしいチームワークだ。坂本漁労長は、2隻の船の作業を俯瞰して見ながら、携帯電話で市場に連絡をとり、ときに自らもロープを結んだり、作業の遅れている人を助けたりする。前夜、酒を酌み交わしたときに、この人はフェアな人だ、と感じたのだが、現場でもそれを実感した。単なるいい人というのとも違う(ただの正直な善人は苦手なわけで)。命を張った現場の中で、フェアさを習得してきた人、とでも言えばいいのだろうか。27歳という若さで漁労長になって、リーダーはどうあるべきか、組織をどう鍛えていくかを考え続けてきた人なのだろう。しなやかで強い「強靱さ」がいつ何時も体中から発散されていた。
 「船頭」とは、まさにこういう人のことを言うのだ。ひるがえって日本国の船頭はどうしてこうもへたればかりなのだろう。「強靱さ」を持った人なんてここ何十年も見たことがない。長い間、自己保身に汲汲とし、上っ面の言葉を吐き続けているうちにことの本質を見失ってしまったのだろうか。人の言葉が聞こえなくなってしまったのだろうか。人間としての当たり前のバランスをとれなくなってしまったのだろうか。
 政治家の中にはもちろんまともな人もいる。ただ、そのまともな人が船頭になれないところがなんともこの世のやりきれぬところだ。前に知力、気力、体力、少しの金力と書いたけれど、補足すれば、知力にはもちろんフェアネス、人心掌握力といったことも含まれる。今回会った漁労長にはそれらがすべて備わっていた。
 船頭なき国はまだまだ大海原を漂い、いろんなものを失い続けなければならないのだろうか。
 権力と無縁の(無縁でありたいと思っている)私は、しこしこと「無名だけどスゴイ人」を探す旅を続けることといたします。でも、そこから何か生まないとね。小さくてもいいから。


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                         坂本漁労長 陸では粋人

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          この日あがったのは120トンものサバ
     
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2011-06-07 13:33 この記事だけ表示
 金沢→氷見→富山と雪の中を進む。三浦友和さんの主演映画「死にゆく妻との旅路」のプロモーションに同行して。それにしても、俳優とは、かくも大変な職業なのだと痛感した。金沢10件、富山11件ーー。地元の新聞、テレビ、タウン誌から三浦さんが2日間に受けた取材の数である。当然、質問は本映画に関することだから、よほど奇をてらった質問がされない限り、話すべき内容は同じになってくる。その忍耐力たるやいかばかりか。それでも「これも僕らの仕事ですから」と三浦さんは淡々としている。
 金沢の夜は、鍋。主計町の「なべ料理 太郎」で三浦さんをはじめ映画関係者との会食のあと、カメラマンの篠塚さんと「台場」でしんしんと降る雪を肴にさらに飲む。
 金沢から富山への移動では、レガシーの君との会話が途切れず続く。同窓。アンドレ・ジッドを愛する27歳の彼は、文学論、世代論に夢中になるあまり何度か雪道を見失う。まあ、それもまた楽し、というところで。東京での再会を約束して別れる。
 東京に戻り、1日おいて今度は九州へ。水戸岡鋭治氏との2度目の旅。同行者は文藝春秋の今泉博史氏とカメラマンの川井聡氏。水戸岡さんからデザイン・コンセプトを直接ご講義いただきながらの贅沢な九州周遊である。ちなみに、水戸岡さんにとって「コンセプト」とは「志」である。間違っても「概念」ではない。
 まずは、宮崎シーガイヤで水戸岡さんの講演を2時間余り拝聴し、旅は幕を開ける。それにしてもシーガイヤ、まさに1987年の(つまり総合保養地域整備法の、いわゆるリゾート法の)落とし子という感じである。1987年…いつかちゃんと振り返ってみたいな。
 翌早朝、JR九州の萱嶋氏が運転するクルマで霧島神宮駅へと向かう。途中、雪道がアイスバーン状態になっているところがあり、チェーンを装着。DSC06807.JPGものすごく寒い。
 リニューアルされた霧島神宮駅の入口には鳥居が鎮座。駅が生きている。
 その後、「雅叙園」でご主人の田島健夫氏と対談。田島氏の体からはエネルギーがほとばしっている。大袈裟でなく体内で小さな核融合でも起こしながら向かってくる感じだ。水戸岡さんもさすがに核の勢いにおののいていた。「雅叙園」の景観はどの角度から眺めても見事だ。DSC06875.JPGわびさびが静かに漂う。虚飾を削ぎ落としていった結果生まれたような朝食は、逆にひどく贅沢だ。さらなる進化形「天空の森」に行けなかったことだけが心残り。
DSC06921.JPG 新幹線車両基地に潜入したのちに目指したのは、湯布院の「玉の湯」。DSC07009.JPG
 これまた文化に充ち満ちた宿で、非の打ち所がない。食事もホスピタリティも十全である。部屋付きの温泉に何度も浸かりながら、DSC06952.JPGひとり過去へ未来へと思いを馳せる。
 が、宿の門をくぐり出、ストリートに出ると気分はいっぺんになえる。そこは清里なのである。アホな店が建ち並び、色彩は下品に自己を主張する。至るところからまやかしの匂いがあふれ出ているのだ。結局、これが現代日本人の偽りなき水準なのだろう。
 水戸岡さんの傍らでレコーダーを向けつつ、「ゆふいんの森2号」で博多へと向かう。DSC07014.JPG満席。意外にも韓国人観光客が多い。この列車には水戸岡イズムが溢れている。とりわけ、デッキ部分のデザインは斬新である。乗っているだけで楽しくなってくる(水戸岡さんの列車はすべてそうだけど)。
 その後、ヘルメットをかぶり、まもなく完成する博多の駅ビルへ。ここも水戸岡さんのデザインだが、注目すべきは屋上の「つばめの杜」だ。水戸岡さんはここに神社と参道を造ってしまった。DSC07026.JPG小布施の職人に依頼した植樹も完璧だ。意匠溢れる屋上は今後のビル建築の指針となるはず。DSC07028.JPG
 続いて門司港へ。1世紀の重みを纏った門司港駅はもはや古雅の域だ。DSC07035.JPG私はこの匂いを知っている。きっと昭和30年代〜40年代には、まだこういう建物はそこかしこに残っていたのだろう。ドア、取っ手、窓枠、柱、天井模様…どこかで見た記憶がある。東京だったか、松本だったか。DSC07040.JPG
長崎県を除く九州全県を2泊3日でまわる強行軍だったけれど、水戸岡イズムの深部をさらに覗くことができた。とはいえ、まだまだ水戸岡デザインは深遠で、はたしていつ核心に辿り着けるかは心許ない。ここはやはりしつこくしつこくしつこくしつこく食らいついて見て訊いて学んでいくしかないのだろう。
 夜の便で東京に戻り、新宿「匠 達広」で水戸岡さん、今泉氏と密度濃い旅を振り返る。一言で言えば、「日本とはいったい何なのか」をデザインの視点を持って振り返る旅だったのかもしれない。あまりにもパンパンで、まだうまく記憶を辿れない。
 水戸岡鋭治さん、まもなくNHKの「プロフェッショナル」に登場予定(クルーの密着態勢が続いている)。また、本取材は、「文藝春秋」(3月10日発売)の巻頭カラーグラビアに掲載されます。


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2011-01-20 10:54 この記事だけ表示
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                  はやとの風 車窓から桜島を望む

 あまりに密度濃い旅ゆえ、いったいどこから書けばいいのか迷ってしまうのだけれど、まずは目的と行程を簡単に。今回の旅の目的は、「プレジデント」誌の「教えたくない店」の取材で、主人公はデザイナーの水戸岡鋭治氏。行程は、大分〜小倉〜博多〜鳥栖〜久留米〜熊本〜鹿児島〜人吉〜熊本というまさに九州横断の旅で、水俣での会議を終えた水戸岡氏と鹿児島のホテルで合流、取材撮影がスタートするという段取りだった。水戸岡氏は、九州を走る電車の多くをデザインしていて(いくつかの駅舎も)、その列車を乗り継ぎ、駅で降りて、水戸岡イズムを味わい尽くそうということで、これだけの長い行程が組まれたのだ。スケジュールを立てたのは、カメラマンの川井聡氏。川井さんは、半端ない「鉄オタ」で、もう完璧なガイドぶりを発揮し、私たち(編集は渡辺菜々緒さん)を導き、楽しませてくれた。とにかく「ソニック」、「つばめ」、「はやとの風」、「いさぶろう・しんぺい」、「九州横断特急」と水戸岡さんデザインの電車に次々と乗り、デザイナー本人の解説つきで列車の内外装デザインや駅舎デザインの真髄を味わう旅が楽しくなかろうはずもない。何よりも水戸岡さんという人がとてつもなく素敵だった。奢らず、媚びず、フェアで、親和力があって、こういう年上の人がいることに心底ほっとした。「傲岸」の対極に立つ人なのだ。ただし、ことデザインとなると、妥協なしにクライアントだろうが何だろうが毅然と立ち向かっていく。自分の描いた揺るがぬイメージを相手にぶつけ、情熱で籠絡する。そこがまた格好いいわけだ。とにかくそんな人とベタでこれだけ長い時間一緒にいられたことが本当に嬉しかった。吐き出される言葉はすべて示唆に富んでいた。しつこいようだけど、つまらない大人が多い中、感性と思考力をバランスよく(しかも鋭く)身につけている人もいるんだ、と嬉しくなってしまったのだ。結局のところ、店取材にかこつけた水戸岡鋭治人物探訪になってしまったわけだが、この先につながる何かも強く感じたし、またお会いできることを信じて精進しよう、と思う。(写真掲載許可とるのを忘れてしまったので、今回は後ろ姿のみを)。


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              リレーつばめ 車内

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    新幹線つばめ


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                   はやとの風 30年前の車輌をリニューアルした

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                        はやとの風 車内
                        木のぬくもりが心地よい

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           はやとの風 展望スペース
           至るところに遊び心がある 

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                      隼人駅 改装費わずか120万円で生まれ変わった

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                      嘉例川駅 百年を経た駅舎をすっきりと生かしたデザイン


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            いさぶろう・しんぺい号 これも古い車輌のリニューアル
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          いさぶろう・しんぺい号 車内

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               人吉駅 地元の石を敷き詰めた駅前や回廊が美しい

         

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2010-10-28 17:13 この記事だけ表示
 日曜夕方、葉山町「ラ・マーレ・ド・チャヤ」にてトモさんとカメさんの還暦祝いの会。3階のスペースを借り切って20名近い人々で祝った。太平洋に落ちていく夕陽をバルコニーから眺めつつ、トモさんの友人である坂田明さんのサックスを聴く。「見上げてごらん夜の星を」、「ひまわり」など4曲が哀愁込めて葉山の夕空に放たれた。階下のお客さんたちも感動していたらしい。坂田さんのいた山下洋輔トリオには秀作がいくつもあるのだけれど、私が好きだったのは「フローズン・デイズ」というものすごい音圧のアルバム。出口のない浪人時代に何度聴き救われたことか。そのことを坂田さんに伝えると、なんとそれは、坂田さんが初めて山下トリオに参加したときのアルバムだった。その人の演奏をこんな至近で聴けるなんて。とにかく素敵な祝賀の宴でした。
2010-08-02 15:31 この記事だけ表示
 北海道中標津に向かう。1日1便のためインタビュー前日に入り、しばし大平原を編集の方々と回る。気候も植生もどこか日本っぽくない。切り取り方によっては、ヨーロッパ的風景でもある。ぽつんぽつんと牧場が点在する。空気は乾いている。どこまでも伸びる一本道。フィンランドに行ったときの感じにも似ている。あれも行ったのは夏だったからな。長い冬を想像しないようにすれば、長逗留してみたい、とも思う。中標津の中心街は、荒んでいるというのではなくどこか乾いた雰囲気の街だった。この素晴らしき広大な風景を抱えるチェントロは、グランドデザインさえちゃんとなされれば、本当に理想郷となりうる場所だとも感じた。
 そして翌日、佐々木譲氏のインタビュー。佐々木さんは、この地に居を構える直木賞作家だ。長編の執筆時などにこの中標津に籠もることが多いらしい。佐々木譲さんのお名前は、もちろん、ずっと前から知っていて、デビュー作も発表された当時に拝読していた。が、それ以降はよい読者ではなかった。今回取材することになって、慌てて『警官の血』、『エトロフ発緊急電』、直木賞受賞作『廃墟に乞う』、そしてデビュー作『鉄騎兵、跳んだ』の再読、さらにはエッセイや記事に目を通しと一応の準備をして臨んだが、やはり、あと数作読んでおけば話は深まったのに、と正直思った。2400枚の大作『武揚伝』は無理だったにしても。それにしても、どの作品も文句なく深く面白く、久々に片っ端から読み落としてみようという気にさせられた。温厚かつ誠実なお人柄に助けられて、それでもインタビューはつつがなく終了。何よりも、資料集め、取材、執筆のそれぞれでいかに集中し打ち込むかという姿勢が私には刺激になった。これは本当に、久々の学びだった。ダレていた自分に一喝入れられた感じだ。ちゃんと誠実に向かわなければ、と痛感した。そして、向かう価値のある作品を立ち上げ、取り組まなければ、と自省した。一端ホテルに戻り、再び編集者の花房麗子、小林龍之の両氏、写真家のホンマタカシさん、佐々木譲さんらと地元の居酒屋「一番星」に集合し、飲む。一切偉ぶらず、媚びず、終始笑顔で語る佐々木さんが文句なく格好よかった。ホテルに戻り、こんな熱い湯は初めてだっていうぐらいの温泉に浸かり、サウナに入り酔いを飛ばす。そして、ひとりカメルーン戦を見る。客観的に見れば、カメルーン、いったいどうしちゃったの、というゲームだったのではないか。でも、よく頑張りました、日本代表。そういえば、この日私が佐々木譲さんの取材をすることは、すでに別のルートから伝わっていた。すがやみつるさん、鋭すぎです。よくわかりましたね、かくも少ない情報(↓6月7日付ブログ)で。またいつの日かお会いできますよう。

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      手入れの行き届いた佐々木邸の裏庭。周りは牧草地帯だ。
      奥に見えるのはいまは主なき馬小屋。
2010-06-15 00:00 この記事だけ表示
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 日曜日の午後、「Number」チームとともにグアムに入る。11日から始まったカズの自主トレの取材。火曜日、日の出前から日没まで密着し、食事内容からトレーニングメニューまですべてをつぶさに見る。休憩時間には短いインタビューも。基本的には、トレーニング→ストレッチ→アイシング→食事→マッサージが一日に3回繰り返されるわけである。水曜日、分刻みのスケジュールを10日間にわたってストイックにこなしたチーム・カズとともに帰国。


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 18日に発売された「AERA」誌の「現代の肖像」で奥田政行シェフを取り上げてます。ご一読いただければ幸いです。


2010-01-22 17:46 この記事だけ表示
 早朝に起き出し、原稿の修正にとりかかる。しかし、意外にもこれに手間取り、予定時刻より1時間以上出遅れてしまう。関越自動車道を通って長岡へと向かう。急ぎの余り、途中、覆面パトカーを追い抜き、あわててアクセルを緩める。結局、彼らは追尾態勢に入ることができなくなり、口惜しげに(あくまでも印象ですが)猛スピードで私のクルマを追い抜いていった。そして、その2キロほど先で、あわれにも彼らの犠牲となったクルマが…。それにしても、スピード違反を取り締まる覆面パトカーなんてものが海外にもあるのだろうか?まあ、スピード出し過ぎの抑止にはなっているのかもしれないけど。
 約束の時間より15分遅れで長岡駅に到着し、新潮社の秋山洋也氏をピックアップ。今回は「AERA」誌の取材だが、単行本でも「地方」をテーマに何かできるのではないかと、秋山さんにお願いして参加してもらったのだ。長岡中央青果で奥田政行シェフ、江頭宏昌准教授、田中祐一シェフ(「trattoria A alla Z」)、野菜ソムリエの木村正晃各氏(今回の企画「いろいろ教えてもらっチャーノ!」は木村氏によるもの)と待ち合わせ、市場の鈴木圭介会長らから長岡の在来作物について話をうかがう。1時間半ほどの講義を拝聴し、かぐらなんばんの生産者を訪ねることに。クルマ3台に分譲し、走り出す。
 行く先もわからぬまま、30分ほど走ると、なんとそこは山古志村。実に4年ぶりの訪問だ。震災後、何度か訪ねていた忘れがたき村。残念ながらかぐらなんばんの時季は過ぎてしまっていて、現物は枝とともに破棄されていた小物しかなかった。DSC04644.JPG生産者から最盛期に摘んだかぐらなんばんの甘露煮をごちそうになる。最初は甘く、やがて口の中に辛みがじわっと広がる絶妙な旨さ。DSC04653.JPGこの食材、売り方によっては長岡野菜の軸となる在来作物だな、と思った(そして事実、奥田さんはこの野菜にいたく感動していた)。帰りがけ、薄暮の光が棚田を照らす光景に思わず見とれる。多くの家は建て直され、棚田にも水が張られ、崩れた山も化粧直しされている。この村は、本当に隅々まで美しいのだ。妙な輩に侵されたりせずに、このまま順調に復興を続けていってほしいと願う。DSC04660.JPGまたいつかゆっくりと回ってみたい(棚田の写真を撮る間もなく移動したので)。夜、奥田シェフらと長岡市内の居酒屋で食事。
 翌朝、秋山さんと長岡グラウンドホテルに行き、ここでしか売ってないと言われる「山古志かぐらなんばんジャム」を買う。甘くて辛いジャム(らしい)。「trattoria A alla Z」に戻り、江頭先生の在来作物についての講演を聴く。パネルディスカッションののち、ランチに。全10品。地元野菜をふんだんに使った料理の数々。前日までに決まっていたプランは、朝、シェフの一声で変更され、料理を出す直前になってまたまた変更されたりする。DSC04679.JPG奥田シェフの料理はジャズだ。ついてくるメンバーは大変だろけれど、食べる方としては、そのアドリブ感がたまらない。「だるまれんこんとトマト カラシ+ルッコラ味」はわかりやすく、皆がうなっていた。DSC04732.JPG長岡野菜の振興にはキリンが協賛していて、テーブルには「キリンフリー」(アルコールゼロの麦芽清涼飲料)が。初めて飲んだが、ビールをイメージしてしまうと、まったくの別物という感じ。売れ行きは好調らしいが、私は、ノンアルコールで食事というのであれば、サンペレグリーノの方がいいかな、と思った。なんか妙に人工的な味がするのだ。すみません、ご馳走になったのに。2時間余のランチを終え、「カーブドッチ」へ。「カーブドッチ」の詳細は後日また。とにかく、日本にこんなところが!と思う施設と風景だった。DSC04780.JPG
 途中驟雨に遭いながらもノンストップで東京着。恵比寿のトーキョーオイスターバーで友人ら6人で食事。以前来たときとはスタッフが替わっていて、”仕切り屋おばさん”みたいな人が切り盛りしていた。「ワインリストありますか?」と尋ねると、にべもなく「ありません!」と言われ、「どんなものがお好みで?ご予算は?」と切り返される。たぶん、種類はそんなに置いていないのだろう。「ドンチッチョ」のように親しくかつ信頼できる店であれば、誰と来ていても「とにかく安くて美味しいワインを!」と笑って言えるわけだが。おばさんも別に悪い人ではないと思うのだけれど、テンパリ感が客に伝わってきてしまうのは、いかがなものか。適度なサジェスションはいいけれど、押しつけは煩わしい。そこがサービスの塩梅なんだけどな。とはいえ、美味しい牡蠣をたらふくいただき満足度は高し。DSC04803.JPG仕事組と別れ、アナ・チームとカラオケへ。
2009-12-14 14:59 この記事だけ表示
 地方の施設を訪れた次の日、京丹後にて取材。夕方、京都市内に入る。夜、木屋町にある和食店を初めて訪ねる。店主ひとりが立ち回るカウンター8席の店は、なかなか居心地よい。隣席の骨董商と語ったり、お酒をご馳走になったりしながらのあっという間の3時間。いただいたお料理はすべてが丁寧で、まっとうで、品よく、しかも、勘定は驚くほど負担なく…。京都の居場所新発見というところ。いろんな人とこの店に来てみたいな、と思った。そして、あの重たい空気流れる施設に毎日欠かさず通う岳父とこそ、こんな店でゆっくり食べて飲んで語るべきだろう、とも思った。
2009-11-16 00:00 この記事だけ表示
 北京3日目。昨日は、小澤征爾さんが育った北京の家を訪ね、その後、ホテルでインタビューをさせていただいた。まとまってお話をうかがうのは数年ぶり。しかも、今回は、思いのほか時間を割いてもらい、相当の時間を頂戴した(たぶん正面切ってのインタビューではこれまでで一番長い)。家の話である。よくまあこれだけの引っ越し先を諳んじていらっしゃるなというぐらい小澤さんはこれまで転居を繰り返してきた。例のマルセイユから2ヶ月かけてパリに入ったあとも、海外を転々としてきたわけだが、幼少の頃から10代にかけての転居歴もすごいのだ。そのひとつは、高校時代に東京農大の教室の中で暮らしていたことである。どういう経緯で住めるようになったのかはいまとなってはわからないが、とにかくあいている教室に一家で移り住み、トイレも風呂もない中で数ヶ月以上暮らしていたのだという。今回のインタビューでは、これまでとは質問の角度が違ったせいか、いままでどこにも出ていない、お初の話をたくさんうかがえた。あまりにも面白かったので、小澤さんの次の予定時間が来ているにも関わらず、「最後の質問にしますが」を3回も続けてしまった。それぐらいエピソードが尽きなかったのだ。夜、市内のレストランでパーティに参加、その後、関係者、通訳者らとおしゃれなバーで少し飲む。本日は、敬愛するチェロ奏者とヴィオラ奏者と市内でお茶をし、午後小澤さんの記者会見に出席した。主役の小澤さん、会場に入るのになんと係員から足止めされたらしい。ちゃんとパスも持っていたのに…(書き出すときりがないから書かないけれど、わずか3日の間に私はもう何回も似たような場面にここ北京では直面している)。いったんホテルに戻り、本稿ならびに昨日のインタビューデータを起こす作業。そして、まもなくコンサートの本番である。
 入稿作業があるにもかかわらず、ですが、気分転換に近況を。
 週末、奥田政行シェフの高知での出張料理に同行する。地方再生のための一助として、奥田さんはこの手の仕事をときどき引き受ける。今回は、高知の食材を使って、奥田流イタリアンを120人もの客に出すことになっている。定員は80名だったが、応募者が殺到したため急遽増やしたのだ。初日の朝、市内の日曜市を歩く。
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 これまでいろいろな市場に行ったけれど、この都市の規模でこの延長、充実度は見たことがない。食材の種類も豊富。その後、高知パレスホテルの吉村社長や田中シェフの導きで、応援に来たヒロチェントロの大島シェフらとともに高知県内の養鶏場、自然農園、トマトハウス、文旦農家などを駆け足でまわる。ものすごい移動距離だ。
 翌日、昨日入手した食材がどう料理へと姿を変えるかを取材しつつ、部屋で原稿を書く。夕方から厨房の片隅で、120人という人数に対して料理はどう作られ、出されていくかをつぶさに観察する。もちろん、ご相伴させていただく。相変わらずの緩急ある料理だが、高知の食材がまたシェフを刺激しているのがよくわかる。瞬時に思いついたひらめき料理も中には含まれる。奥田さんの即興演奏に厨房は混乱しつつも、無事11品出し終わる。120人相手の即興演奏は狂気としか言いようがない。
 翌早朝、暗いうちにホテルを出て、羽田へ。いったん帰宅し、原稿を書き、午後、今度は成田へと向かう。機内で「おくりびと」を観る。隣に座る日本語のできる香港の女の子が要所要所で涙をすするのを耳にしつつ、私はぐっとこらえる。出ている役者が全員いい。役者がはまっていると安心して物語に引き込まれていける。深夜、香港に着き、まずはタクシー運転手に料金の交渉。香港に来たのはたぶん10年ぶりぐらいで、タクシーのシステムがどんなだったかは忘れていたが、乗る前に値段を確認しておくにこしたことはない。結局、メーターより安い料金ですむ(というか値切る)。
 翌午前から午後にかけて、ホテルの部屋で原稿を書き、なんとか入稿する。夕方、ホテル内で現在香港リーグに所属する岡野雅行選手の取材。そうか、岡野選手ももう36歳かと思いながら、話を聞く。抜群に面白い。このシーズンオフ、Jリーグがいかに不況の波をかぶり、選手たちにその余波が来ていたかを改めて知る。佐藤由紀彦、加藤望、山田卓也、岡野雅行とインタビューしてきたが、これで終了。果たして400字25枚という枠の中に彼らの膨大かつ濃い言葉がうまく収まるかどうか。結果は、3月19日発売の「Number」で。「週刊朝日」の短期連載も始まりました。併せてよろしくお願いします。本日は、これから夕方の便で東京に戻り、明日は、早朝から庄内へ。
この小さなパソコンが生命線。
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 今回は、ANAのマイレージを使っての旅だったため、イタリアではなく、パリからヨーロッパ入りした。シャルルドゴール空港で欧州に住む友人、たまたま仕事でパリに滞在していた友人と合流し、シャブリ近くの村に向かい、旅はスタートした。フランスに2泊し、シャブリのワイン畑を愛でたあと、スイス・ジュネーブ駅で後輩のY君をピックアップ、一路イタリア・ラヴェンナへ。この日の走行距離実に1000キロ。さすがに腰が痛くなる。夜には、ボローニャに住むCちゃん来訪。…なんて人が出たり入ったりの旅で、結論から言うと、2週間で4155キロも走った。ジェット機で欧州に入り、そののち4000キロも走行してガソリンを浪費する人間に、もはやエコ云々を語る資格はあるまい。旅の詳細を書くと300枚ぐらいの旅行記になってしまうし、費やす時間もないので、あとは、写真とキャプションでざっと旅をなぞることにします。
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シャブリのブドウ畑

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マントヴァとヴェローナの中間ぐらいにあるアグリツーリズモの宿

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イタリアに行ったときには必ず訪れるヴェローナの街

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ヴェローナ市内にある「ボッテガ・デル・ヴィーノ」のカメリエーレ。15歳のときからこの店で働き始め、現在20歳。イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、英語の4カ国語が喋れる。応対もパーフェクト。こんな気持ちいい若きサービスマンも世界にはいるわけです。

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ヴェローナ風景

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アレッサンドリアのキノコ売り。このあと、市内でキノコのフリットを食べた。旨かった。

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リグーリア・インペリアの回廊。

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インペリアの市場

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インペリア市場の中。新鮮な鯖があり、買って帰ったが、これが抜群に旨かった。

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インペリアで投宿したキッチン付きの宿。日本人が泊まったのは初めてとのこと。まわりはとにかく、オリーブの木だらけ。宿の庭にもオリーブの巨木が何本も植えられていた。

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宿での夕食。市場で買った新鮮な魚や野菜を料理して食べる。実のところ、この一食が今回の旅で一番美味しい食事だった。

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インペリアの港には、ニュージーランドやノルウェーなど各国のプライベート船が停泊していた。この人たち、間違いなく半端じゃない金持ち。船だけで何億する?

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インペリアの魚屋

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インペリアの夜景。宿のおばさんお勧めの店「BRACCIOFORTE」で食事をする。ここの主人も感じがよく、インペリアの人は総じて人がいいという印象。まあ、これだけ山と海の幸に恵まれ、地中海の爽やかな気候の中で暮らしていれば、性格がねじ曲がるはずもないか。モナコのような嫌ったらしさもなく、気取りのない港町だった。この街なら住めるかも、と思った。

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ブルゴーニュ・ヴォーヌ村。

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ヴォーヌ村のワイン畑。

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ついに初ロマネ・コンティ畑へ。ロマネ・コンティ周辺を歩くと、おなじみのブルゴーニュワインの名前が次々と表れる。半日、ブルゴーニュの空気を吸い続けた。

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感動のブルゴーニュ・ワイン街道。








 









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 某日、イタリア・リグーリア州山中にあるオリーブ農家を訪ねる。アグリツーリズモの宿の素敵なおばさんが教えてくれたこの付近で一番のオリーブオイルを作るカヴィーリアさんの家だ。
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突然の訪問にも関わらず、来年ワインになる絞りたての葡萄ジュースをふるまってくれ、オリーブオイルの製作工房(まさに工房と呼ぶに相応しい狭い部屋)を案内してくれる。カヴィーリアさんは6代目当主。工房内には年代物の手動の機械やおじいさんが使っていたというランプなどが陳列してある。
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 案内していただいたあと、ステンレスの缶から昨年絞ったオリーブオイルを瓶に詰めてもらう。
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 今年の絞りたては、11月まで待たねばならずで、残念ながら少し届かず。もっとも、去年のものでもすごくいい香りで、見た目の濃さも違う。ここ地中海に面したイタリア・リグーリア産は、イタリアのオリーブオイルの中でも優良とされるが、採れる量は少ない。にもかかわらず、リグーリア産が市場には大量に出回っており、このほとんどは偽物らしい。イタリア以外の国で採れたものを詰めたり、混ぜたりしたものを勝手にリグーリア産(イタリア産)と称しているわけだ。
 カヴィーリアさんから譲ってもらったオリーブオイルはその日のうちに宿で食したけれど、もう香り、味とも最高!ともろ手を挙げて言いたいところだけれど、空気に触れている時間が長すぎてやや劣化していたことがいとくちをし。でも素材の味を引き立てる力はあるし、オイル自身もちゃんと調和を奏でていたから、たぶんその年の瓶詰めは逸品だとおもう。
 なんて、突然オリーブ農家の話から入りましたが、2週間欧州を旅しておりました。詳細、また折りをみて記すことに。
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カヴィーリアさんちにいた猫。なぜか「フィレンツェ」という名前だった…。




 夕方、ニュルブルグで今回の立役者某氏にインタビュー。いい話が聞ける。主役ではないがこの人とは相性がいい。もっとずっと話を聞いていたい感じ。ホテルに戻るも読む本がなくなり、「使い走り」を再読。村上春樹の訳がいつもと少し違うように感じるのは、カーヴァーの文体が違うせいなのか。私がこの「使い走り」に惹かれる理由が解説を読んでいてわかった。ニュージャーナリズムの匂いがするのである。「使い走り」の解説がすごくいい。
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 朝礼に参加し、夕方、寒風吹きすさぶ中1時間半立ちつくしたのち、終礼に加わり、1日が終了。長い1日だともいえるけれど、ほとんどの時間、誰とも話さない日々が久々に新鮮。一人旅はいろんなことを感じ考えるいい機会だとよく言われるけれど、まさにそう思う。空き時間には、いかにもという田園風景の中一人インプレッサを走らせたりしている。これで、食事が美味しければ文句ないのだが、残念ながら私の口には合わない。不味いとかではなく、その単調さに一食で飽きてしまうのだ。朝、夜とすでに4回同じものを食べているような印象。野菜が出てこないのも辛い。朝食会場に野菜類はいっさい見あたらない。トマトの欠片もレタスの一枚も見あたらない。もちろん、魚などは望むべくもない。たぶん、都会に行けばもう少し選択肢はあるのだろうけれど。ホテルに戻り、風呂の中で村上春樹翻訳ライブラリーの『象』(レイモンド・カーヴァー)読了。村上氏も書いている通り、短編の中では、「使い走り」がいい。チェーホフの死に際を描いたこの短編は本当にはっとさせられる。これは、50歳(49歳?)にして亡くなったカーヴァー自身が遠からず迎えることになる死をチェーホフ(もちろん、チェーホフなんて私はろくすっぽ知らないわけですが)のそれに重ねて書いたもので、収められている他の短編に比べて断然密度が濃い。これ一篇で卒論を書けるぐらいにいろいろな要素を内包している、と思う。
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 朝7時半にフランクフルトのホテルをチェックアウトし、シャトルバスでいったん空港へ。レンタカー屋でレンタカーを借りるが、東京で予約したクルマより、一つ上のクラスが15ユーロを足すだけで借りられるとカウンターのお姉さんが勧めてくるので、従う。スバル、インプレッサのセミオートマ。クラッチを切る必要はないが、シフトのアップダウンは手動というクルマ。しかし、なぜか4速(何もしなくていいドライブモードも選べる)。楽しくはあるが、クルマ好きにはやや物足りない。フランクフルトから、目的地のニュルブルグまでは150キロ余。ただ、一本道ではなく、何回か高速道路をかえなければならず、ナビがいないとちょっときつい。一度標識を見落として道を間違うと、かなり絶望的である。もう何度もヨーロッパでこの悲劇を味わっているから、見落とすまいと必死になる。なんとか間違うことなく、ニュルブルグに到着。結構な田舎である。街を少し流したあと、予約していた小さなホテルにチェックインする。家族経営の感じのいいホテルだ(ちなみに「Zur Burg」という名前)。昼、部屋で「どん兵衛こくカレーうどん」を食べる。午後〜夜まで取材。といっても、ただひたすら、人々の作業を眺めるているだけなのだが。そして、時を移さず、世界的出来事(ある意味)を目の前で見ることに。これは機密事項(本当に)で書けないのだが、現場に着いてわずか数時間後に歴史的瞬間に立ち会えたことは僥倖。そして、私の取材の目的もまたほぼこれで達成である。この瞬間を見るために来たわけで、それがどんぴしゃで得られるとは…。 
 早朝、奥田シェフの原点となった竹林で撮影。壁にぶつかったときに訪れ、再び立ち上がるきっかけをつかんだ場所だ。画像 057-2.jpg雪が数十a積もっている。不思議と撮影の半時間、空から雲が消える。金峰山が青空に白く浮かび上がる。奥田シェフといったん別れ、最上川へと向かうが、今度は一転、吹雪に。夕方、地元の農家の集いがイルケッチァーノで開かれることを知り、帰京の便を一便遅らせる。30名ほどの生産者が集結し、無農薬農法の「植酸栽培」の講義を講師から聞く。奥田シェフは講義の傍らで農家の方々が持ち込んだ野菜を使って料理の準備に余念がない。講義のあと農家の方々に出す料理だ。庄内の農家がアルケッチァーノを軸にまとまっていこうとするムーブメントを目の当たりにする。それにしても、奥田シェフの庄内への献身的な姿には頭が下がる。夕方、こんな無償の大作業をやっていながら、6時すぎにはいつものようにお客さんがやってきて料理を提供するのだ。夜帰京し、友人たちと自宅にて食事会。
 昼の便で「文藝春秋」の今泉博史氏と山元茂樹氏とともに庄内に入る。昨年来続けている「文藝春秋」のグラビア撮影。春夏秋冬で激しく姿を変えていく庄内とアルケッチァーノの料理を切り取るのが目的での冬篇。気温は0度。雪に覆われた庄内はまた美しい。庄内の案内人河井健次さんとともに漁港、岩のり漁師、ワッツワッツファームなどを訪ねる。その間にも天気がめまぐるしく変わる。雲が切れたかと思うと、横なぐりの雪が吹きつけたり。冬の庄内の空は、まったく読めない。ときどき自転車に乗っている高校生とすれ違いはするものの道路を歩いている人は皆無と言っていい。四輪駆動のクルマなしでは生活が成り立たないわけだが、クルマの運転ができない老人は暮らしにくいだろうな、と思う。夜は、鱈を軸にしたお料理の数々。由良港にも鱈がたくさんあがっていた。生と茹でた2種の白子を乗せた絶妙パスタに一同で卒倒する。前回もそうだが、アルケッチァーノには3人ぐらいで訪れるのがベストなのかもしれない。奥田シェフの料理がさらに一段アップする気がする。春菊と牡蠣のスープ、鱈のフォアグラ風などその場で閃いたお料理が次々とテーブルに運ばれ、我々はそのたびに絶句することに。
 未だ暗くコースのラインすら読めぬ朝6時、早朝練習が始まる。一日寝たせいで、すっかり体調は回復。いつもより長めの約50分間全開の練習を終え、カズの部屋で朝食をいただく。鮭、ご飯、納豆、みそ汁、果物というシンプルなものだが、まっとうな食事をとるのはものすごく久しぶりな感じがする。やはり、グアムに入ってからの食事に相当まいっていたのだ。ここだって、食材は現地調達なんだから、ホテルのレストランでももう少しまともな味が出せそうなものなのだが…。味付けの感覚が違うのだろう(すべてのレストランで、料理にはおしなべてかなりの量の砂糖がぶち込まれていた=南の島ならではなのか?)。食事を終え、10時から午前練に入る。本日は、横浜FCから柏への移籍が決まっているゴールキーパーの菅野孝憲選手、テレビ東京の取材で来ている前園真聖氏も加わってボールを使った練習。終了後再び、カズの部屋でカレーライスをいただく。練習も4日目に入り、疲れがたまっているということで、午後の練習はカット。とにかく、3月8日の開幕に向けて順調な仕上がりの様子。昼食後、カーテンを閉めてカズが日本から持参していたニューオリンズを舞台にしたアクション刑事もの映画を大画面で数人の仲間と見る。やたら銃をぶっ放すB級映画。カズは途中、疲れのためかまどろんでいたが、結局最後まで見てしまった。それにしても思う。やはりトップアスリートになるためには(あるいはあり続けるためには)、職人のようにある種単調な作業を受け入れ、自分のものとしなければならないのだ、と。誰に強制されるわけでもなく、真っ暗なグラウンドを走り、ときに体を痛めつけ、マッサージを受け、ひたすらホテルの部屋とグラウンドの往復を繰り返す毎日を厭わぬこともまた欠かせぬ能力なのだろう。せいぜいの娯楽が部屋で見るDVDというわけである。チームが途中から合流してくるため、こんなカズのグアム生活は、2週間も続く。かたや私はと言えば、原稿を書く必要に迫られているにもかかわらず、体がなまっていることもあって、友人とボーリングに興じてしまう。実に連続5ゲームもハイスピードで汗だくになりながらこなすことに。 夜、再びカズの部屋で菅野選手らと和食をとる。3食まともな食事をいただける幸せ(大げさでなく)を改めて感じる。早朝のウォーキング、ボーリング、ノンアルコールと極めて健全な一日となる。
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DSC00783.JPG いまだ仄暗い朝6時すぎからランニングが始まる。明るくなり、グアムの強い日差しがグラウンドを差し出す頃、カズはコンドミニアムへといったん戻る。カズの部屋で雑談をし、我々も朝食を取りにレストランへ。我々というのは、「Number」編集部の竹田直弘氏と写真家の関めぐみさん。
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昨日から一緒にグアム入りした。我々が滞在しているホテルは、山の中にあり、自ずと食事は、ホテル内でとらざるを得ない。しかし、残念ながらここのレストランのお味はいま一つというか、不味い。値段に見合った味になっていない。ユーロ、アジアン、朝食バイキングと全部ダメ。まあ、最初から期待していなかったわけだが。朝食後の午前練は、炎天下の中、日焼け止めを塗りたくっての練習。画像 047-2.jpgただただストイックにメニューをこなしていく。まもなく41歳になるカズの肉体はシーズンオフの間もまったくゆるむことなく引き締まったまま。たったいまの体脂肪は10パーセントを切っている。自分の腹ボテの体が悲しく、痛い。食事、運動、生活と改めて見直す時期か。

 昨年に引き続き、カズのグアムでの自主トレに同行。午後、グアム入りする。ホテルにチェックインしてすぐグラウンドに出たカズは、ジョギングを開始。2008年シーズンへの助走が本日始まる。
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