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 日曜日の午後、「Number」チームとともにグアムに入る。11日から始まったカズの自主トレの取材。火曜日、日の出前から日没まで密着し、食事内容からトレーニングメニューまですべてをつぶさに見る。休憩時間には短いインタビューも。基本的には、トレーニング→ストレッチ→アイシング→食事→マッサージが一日に3回繰り返されるわけである。水曜日、分刻みのスケジュールを10日間にわたってストイックにこなしたチーム・カズとともに帰国。


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 18日に発売された「AERA」誌の「現代の肖像」で奥田政行シェフを取り上げてます。ご一読いただければ幸いです。


2010-01-22 17:46 この記事だけ表示
 北京3日目。昨日は、小澤征爾さんが育った北京の家を訪ね、その後、ホテルでインタビューをさせていただいた。まとまってお話をうかがうのは数年ぶり。しかも、今回は、思いのほか時間を割いてもらい、相当の時間を頂戴した(たぶん正面切ってのインタビューではこれまでで一番長い)。家の話である。よくまあこれだけの引っ越し先を諳んじていらっしゃるなというぐらい小澤さんはこれまで転居を繰り返してきた。例のマルセイユから2ヶ月かけてパリに入ったあとも、海外を転々としてきたわけだが、幼少の頃から10代にかけての転居歴もすごいのだ。そのひとつは、高校時代に東京農大の教室の中で暮らしていたことである。どういう経緯で住めるようになったのかはいまとなってはわからないが、とにかくあいている教室に一家で移り住み、トイレも風呂もない中で数ヶ月以上暮らしていたのだという。今回のインタビューでは、これまでとは質問の角度が違ったせいか、いままでどこにも出ていない、お初の話をたくさんうかがえた。あまりにも面白かったので、小澤さんの次の予定時間が来ているにも関わらず、「最後の質問にしますが」を3回も続けてしまった。それぐらいエピソードが尽きなかったのだ。夜、市内のレストランでパーティに参加、その後、関係者、通訳者らとおしゃれなバーで少し飲む。本日は、敬愛するチェロ奏者とヴィオラ奏者と市内でお茶をし、午後小澤さんの記者会見に出席した。主役の小澤さん、会場に入るのになんと係員から足止めされたらしい。ちゃんとパスも持っていたのに…(書き出すときりがないから書かないけれど、わずか3日の間に私はもう何回も似たような場面にここ北京では直面している)。いったんホテルに戻り、本稿ならびに昨日のインタビューデータを起こす作業。そして、まもなくコンサートの本番である。
 今回は、ANAのマイレージを使っての旅だったため、イタリアではなく、パリからヨーロッパ入りした。シャルルドゴール空港で欧州に住む友人、たまたま仕事でパリに滞在していた友人と合流し、シャブリ近くの村に向かい、旅はスタートした。フランスに2泊し、シャブリのワイン畑を愛でたあと、スイス・ジュネーブ駅で後輩のY君をピックアップ、一路イタリア・ラヴェンナへ。この日の走行距離実に1000キロ。さすがに腰が痛くなる。夜には、ボローニャに住むCちゃん来訪。…なんて人が出たり入ったりの旅で、結論から言うと、2週間で4155キロも走った。ジェット機で欧州に入り、そののち4000キロも走行してガソリンを浪費する人間に、もはやエコ云々を語る資格はあるまい。旅の詳細を書くと300枚ぐらいの旅行記になってしまうし、費やす時間もないので、あとは、写真とキャプションでざっと旅をなぞることにします。
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シャブリのブドウ畑

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マントヴァとヴェローナの中間ぐらいにあるアグリツーリズモの宿

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イタリアに行ったときには必ず訪れるヴェローナの街

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ヴェローナ市内にある「ボッテガ・デル・ヴィーノ」のカメリエーレ。15歳のときからこの店で働き始め、現在20歳。イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、英語の4カ国語が喋れる。応対もパーフェクト。こんな気持ちいい若きサービスマンも世界にはいるわけです。

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ヴェローナ風景

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アレッサンドリアのキノコ売り。このあと、市内でキノコのフリットを食べた。旨かった。

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リグーリア・インペリアの回廊。

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インペリアの市場

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インペリア市場の中。新鮮な鯖があり、買って帰ったが、これが抜群に旨かった。

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インペリアで投宿したキッチン付きの宿。日本人が泊まったのは初めてとのこと。まわりはとにかく、オリーブの木だらけ。宿の庭にもオリーブの巨木が何本も植えられていた。

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宿での夕食。市場で買った新鮮な魚や野菜を料理して食べる。実のところ、この一食が今回の旅で一番美味しい食事だった。

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インペリアの港には、ニュージーランドやノルウェーなど各国のプライベート船が停泊していた。この人たち、間違いなく半端じゃない金持ち。船だけで何億する?

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インペリアの魚屋

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インペリアの夜景。宿のおばさんお勧めの店「BRACCIOFORTE」で食事をする。ここの主人も感じがよく、インペリアの人は総じて人がいいという印象。まあ、これだけ山と海の幸に恵まれ、地中海の爽やかな気候の中で暮らしていれば、性格がねじ曲がるはずもないか。モナコのような嫌ったらしさもなく、気取りのない港町だった。この街なら住めるかも、と思った。

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ブルゴーニュ・ヴォーヌ村。

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ヴォーヌ村のワイン畑。

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ついに初ロマネ・コンティ畑へ。ロマネ・コンティ周辺を歩くと、おなじみのブルゴーニュワインの名前が次々と表れる。半日、ブルゴーニュの空気を吸い続けた。

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感動のブルゴーニュ・ワイン街道。








 









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 某日、イタリア・リグーリア州山中にあるオリーブ農家を訪ねる。アグリツーリズモの宿の素敵なおばさんが教えてくれたこの付近で一番のオリーブオイルを作るカヴィーリアさんの家だ。
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突然の訪問にも関わらず、来年ワインになる絞りたての葡萄ジュースをふるまってくれ、オリーブオイルの製作工房(まさに工房と呼ぶに相応しい狭い部屋)を案内してくれる。カヴィーリアさんは6代目当主。工房内には年代物の手動の機械やおじいさんが使っていたというランプなどが陳列してある。
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 案内していただいたあと、ステンレスの缶から昨年絞ったオリーブオイルを瓶に詰めてもらう。
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 今年の絞りたては、11月まで待たねばならずで、残念ながら少し届かず。もっとも、去年のものでもすごくいい香りで、見た目の濃さも違う。ここ地中海に面したイタリア・リグーリア産は、イタリアのオリーブオイルの中でも優良とされるが、採れる量は少ない。にもかかわらず、リグーリア産が市場には大量に出回っており、このほとんどは偽物らしい。イタリア以外の国で採れたものを詰めたり、混ぜたりしたものを勝手にリグーリア産(イタリア産)と称しているわけだ。
 カヴィーリアさんから譲ってもらったオリーブオイルはその日のうちに宿で食したけれど、もう香り、味とも最高!ともろ手を挙げて言いたいところだけれど、空気に触れている時間が長すぎてやや劣化していたことがいとくちをし。でも素材の味を引き立てる力はあるし、オイル自身もちゃんと調和を奏でていたから、たぶんその年の瓶詰めは逸品だとおもう。
 なんて、突然オリーブ農家の話から入りましたが、2週間欧州を旅しておりました。詳細、また折りをみて記すことに。
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カヴィーリアさんちにいた猫。なぜか「フィレンツェ」という名前だった…。




 夕方、ニュルブルグで今回の立役者某氏にインタビュー。いい話が聞ける。主役ではないがこの人とは相性がいい。もっとずっと話を聞いていたい感じ。ホテルに戻るも読む本がなくなり、「使い走り」を再読。村上春樹の訳がいつもと少し違うように感じるのは、カーヴァーの文体が違うせいなのか。私がこの「使い走り」に惹かれる理由が解説を読んでいてわかった。ニュージャーナリズムの匂いがするのである。「使い走り」の解説がすごくいい。
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 朝礼に参加し、夕方、寒風吹きすさぶ中1時間半立ちつくしたのち、終礼に加わり、1日が終了。長い1日だともいえるけれど、ほとんどの時間、誰とも話さない日々が久々に新鮮。一人旅はいろんなことを感じ考えるいい機会だとよく言われるけれど、まさにそう思う。空き時間には、いかにもという田園風景の中一人インプレッサを走らせたりしている。これで、食事が美味しければ文句ないのだが、残念ながら私の口には合わない。不味いとかではなく、その単調さに一食で飽きてしまうのだ。朝、夜とすでに4回同じものを食べているような印象。野菜が出てこないのも辛い。朝食会場に野菜類はいっさい見あたらない。トマトの欠片もレタスの一枚も見あたらない。もちろん、魚などは望むべくもない。たぶん、都会に行けばもう少し選択肢はあるのだろうけれど。ホテルに戻り、風呂の中で村上春樹翻訳ライブラリーの『象』(レイモンド・カーヴァー)読了。村上氏も書いている通り、短編の中では、「使い走り」がいい。チェーホフの死に際を描いたこの短編は本当にはっとさせられる。これは、50歳(49歳?)にして亡くなったカーヴァー自身が遠からず迎えることになる死をチェーホフ(もちろん、チェーホフなんて私はろくすっぽ知らないわけですが)のそれに重ねて書いたもので、収められている他の短編に比べて断然密度が濃い。これ一篇で卒論を書けるぐらいにいろいろな要素を内包している、と思う。
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 朝7時半にフランクフルトのホテルをチェックアウトし、シャトルバスでいったん空港へ。レンタカー屋でレンタカーを借りるが、東京で予約したクルマより、一つ上のクラスが15ユーロを足すだけで借りられるとカウンターのお姉さんが勧めてくるので、従う。スバル、インプレッサのセミオートマ。クラッチを切る必要はないが、シフトのアップダウンは手動というクルマ。しかし、なぜか4速(何もしなくていいドライブモードも選べる)。楽しくはあるが、クルマ好きにはやや物足りない。フランクフルトから、目的地のニュルブルグまでは150キロ余。ただ、一本道ではなく、何回か高速道路をかえなければならず、ナビがいないとちょっときつい。一度標識を見落として道を間違うと、かなり絶望的である。もう何度もヨーロッパでこの悲劇を味わっているから、見落とすまいと必死になる。なんとか間違うことなく、ニュルブルグに到着。結構な田舎である。街を少し流したあと、予約していた小さなホテルにチェックインする。家族経営の感じのいいホテルだ(ちなみに「Zur Burg」という名前)。昼、部屋で「どん兵衛こくカレーうどん」を食べる。午後〜夜まで取材。といっても、ただひたすら、人々の作業を眺めるているだけなのだが。そして、時を移さず、世界的出来事(ある意味)を目の前で見ることに。これは機密事項(本当に)で書けないのだが、現場に着いてわずか数時間後に歴史的瞬間に立ち会えたことは僥倖。そして、私の取材の目的もまたほぼこれで達成である。この瞬間を見るために来たわけで、それがどんぴしゃで得られるとは…。 
 早朝、奥田シェフの原点となった竹林で撮影。壁にぶつかったときに訪れ、再び立ち上がるきっかけをつかんだ場所だ。画像 057-2.jpg雪が数十a積もっている。不思議と撮影の半時間、空から雲が消える。金峰山が青空に白く浮かび上がる。奥田シェフといったん別れ、最上川へと向かうが、今度は一転、吹雪に。夕方、地元の農家の集いがイルケッチァーノで開かれることを知り、帰京の便を一便遅らせる。30名ほどの生産者が集結し、無農薬農法の「植酸栽培」の講義を講師から聞く。奥田シェフは講義の傍らで農家の方々が持ち込んだ野菜を使って料理の準備に余念がない。講義のあと農家の方々に出す料理だ。庄内の農家がアルケッチァーノを軸にまとまっていこうとするムーブメントを目の当たりにする。それにしても、奥田シェフの庄内への献身的な姿には頭が下がる。夕方、こんな無償の大作業をやっていながら、6時すぎにはいつものようにお客さんがやってきて料理を提供するのだ。夜帰京し、友人たちと自宅にて食事会。
 昼の便で「文藝春秋」の今泉博史氏と山元茂樹氏とともに庄内に入る。昨年来続けている「文藝春秋」のグラビア撮影。春夏秋冬で激しく姿を変えていく庄内とアルケッチァーノの料理を切り取るのが目的での冬篇。気温は0度。雪に覆われた庄内はまた美しい。庄内の案内人河井健次さんとともに漁港、岩のり漁師、ワッツワッツファームなどを訪ねる。その間にも天気がめまぐるしく変わる。雲が切れたかと思うと、横なぐりの雪が吹きつけたり。冬の庄内の空は、まったく読めない。ときどき自転車に乗っている高校生とすれ違いはするものの道路を歩いている人は皆無と言っていい。四輪駆動のクルマなしでは生活が成り立たないわけだが、クルマの運転ができない老人は暮らしにくいだろうな、と思う。夜は、鱈を軸にしたお料理の数々。由良港にも鱈がたくさんあがっていた。生と茹でた2種の白子を乗せた絶妙パスタに一同で卒倒する。前回もそうだが、アルケッチァーノには3人ぐらいで訪れるのがベストなのかもしれない。奥田シェフの料理がさらに一段アップする気がする。春菊と牡蠣のスープ、鱈のフォアグラ風などその場で閃いたお料理が次々とテーブルに運ばれ、我々はそのたびに絶句することに。
 昨年に引き続き、カズのグアムでの自主トレに同行。午後、グアム入りする。ホテルにチェックインしてすぐグラウンドに出たカズは、ジョギングを開始。2008年シーズンへの助走が本日始まる。
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 朝6時にカズのレジデンスへ。トレーニングに向かう前、カズは昨日までと同じ所作を愚直なまでに繰り返す。バランスボールに乗り、膝をケアし、足首のストレッチを行い、ゴムで負荷をかけた足を動かす運動を儀式のようにこなしていく。口にしたのはバナナだけ。部屋に置かれたiPodからは、昔の歌謡曲が流れ続けている。昨日も書いたけれど、毎日こんなことをひたすら繰り返しているからこそ、まもなく40歳にならんとする体はキープされているのだと改めて思う。さぼろうとか、休もうとか、ズルしようとか、そういう気持ちがカズの中にはまったく芽生えないのだろう。いつかカズが言っていた「結局は、自分に返ってくるし、自分しかないんです」という言葉を改めて思い出す。練習を、日課を落とせば、そのツケは必ずや自分に返ってくるということをカズは身をもって知っているのだ。朝日が昇る中、20分のランニングを終えると、続いて、軽いリフティング、ボールを使っての反転練習、ステップを踏んでポールを左右にかわして進むサーキットトレーニングへと入っていく(写真がないのはDVDを回しているため)。すべてが横浜FCの喜熨斗コーチの練習メニューで、回数、時間とも実に細かく決められている。サーキットトレーニングを一種目やっては、軽いストレッチという繰り返し。朝いちで行う練習にしてはかなりのハードなものだが、これがグアムでの最終練習とあって、一気に追い込んでいく。こうして朝8時前、グアム・レオパレスリゾートでのすべての練習を消化し、スタッフ全員で記念写真を撮り、10日間にわたる自主トレが終了した。

  成田空港で、カズチームの面々は解散。皆10日間の心地よい疲れと充実感を持って、自宅へと帰っていった。私はカズの運転するクルマに同乗し、成田から都内へ。車内で自主トレの感想などを聞かせてもらう。グアムの話だけでなく、これまでの自身の歩みを振り返るような話も問わず語りに出てくる。たとえば、88年のキンゼ・デ・ジャウーでの1年がプロサッカー選手としての大きな転換点となったこと、99年のクロアチアでまた別のギヤが入ったことなどなど。西麻布でカズと別れ、私はそのまま、近所の極々庶民的なお鮨屋さんへと向かう。最近は雑誌にも決して紹介されることのないような、このドメな感じの地元鮨がすっかり気に入っている。そりゃ味は多少有名店よりは落ちるものの、極めてリーズナブルだし。

 

 昨日撮影に失敗したので、今日こそはという思いで、まだ暗い早朝、再びカズのレジデンスに向かう。グラウンドでのランニングの前に、ゴムを足首に巻き付け動かす運動や、電気器具を使っての治療とか、施すことが結構ある。こうした細かいケアこそが体を長持ちさせるコツなのだろう。いや、逆に言えば、若いときには必要がなかったことがいまは必要になっているのだとも言える。いずれにしても、ハードな練習を受け止める体をキープするのは並大抵なことではない。毎朝6時からこんなことをしている選手はそうそういないだろう。そんな光景をDVDに納め、レジデンスを出てグラウンドに入るまで回し続ける。今度は、ありきたりのドキュメンタリーの冒頭シーン程度はちゃんと撮ることができた。練習は、昨日と同じ。20分間、黙々とトラックを走り続け、軽いストレッチをこなす。今日のランニングには、大宮アルディージャの藤本主悦選手も加わった。
 朝食後、再びグラウンドへ。6時台の日差しとはうってかわって、肌を射るような日差し。日焼け止めクリームを塗ってもブロックできるかどうかというぐらいの強い日光だ。


そんな強い日差しのもと、ボール回しなどの練習をみっちり1時間余こなす。もちろん、30度は超えているだろう。
 昼食後、ホテルから40分ほど離れた「南太平洋戦没者慰霊公苑」をカズ、関根氏とともに訪れる。グアムに行くなら、是非訪れたいと思っていた場所だ。グアム島は、1941年12月8日、日本軍が米軍から奪取し、以後1944年8月11日の玉砕に至るまで日本が統治していた島である。米軍の猛攻撃で、サイパンに続いて結局日本はこの島を手放すことになったわけだが、この島だけで2万人近くの日本人が亡くなり、米軍も同等の被害を出した。現在人口16万人ほどの穏やかな常夏のリゾート島だが、60年前には、この島で、熾烈な戦いが繰り広げられていたわけである。その辺の感想はまた後日書きたいと思うが、このリゾート島でキャンプを張ったカズが、弔いに行こうと一緒に来てくれたことが私には何より嬉しかった。
将校たちが最後に自決した防空壕にも、カズは率先して入っていった。日本代表として先頭で戦ってきたカズが、いまの日本の繁栄の礎となった人々に敬意を表することは、すごく意義があると思うのだ。私たちは、慰霊塔に石川さんの作ったおはぎと缶ビールを置いてきた。これからカフェでまた話しをするので、本日の感想はここまでということで。


 朝6時前に起きだし、カズのレジデンスへ。外はまだ真っ暗だ。レジデンスを出てくるカズを追う。今回、私は、スチールに加え、DVDカメラも回している。まずは、朝出てくるシーンをおさえるべきだろうと思い、回したのだが、実は、焦ってスイッチを押したため、最初の数分はスタンバイのまま。いいシーンだったのに…。グラウンドに出たカズは、PUMAの富田さん、喜熨斗コーチ、関根マネージャー、マッサーの竹ちゃんと5人でランニングを始める。カズチームのすごいところは、全員がこうして練習に参加することだ。関根マネージャーは、毎年行われるこの自主トレのために秋口から走り込んでいるほどの力の入れよう。30分のランニングを終えて、いったんレジデンスに戻って朝食をとり、

9時半から再びランニング、ダッシュなどの練習に入る。午前9時半とはいえ、おそらく気温は30度を超えているのではないか。グラウンドに立つと体感温度はそれ以上で、ただカメラを回しているだけの私の体からでさえ、汗が噴き出してくる。そんな中、カズは、喜熨斗コーチの指示を受けながら、自分の体を痛めつけるかのように走り続ける。顔にはたっぷりと日焼けクリームを塗っている。1時間も外に立っていれば十分にヤケドを負うような日差しなのだ。


 いずれにしても、あと1ヶ月ちょっとで40歳を迎える人のトレーニングとはとても思えない。
 
 昼ご飯のお雑煮やサラダをいただいたのち、敷地内にある筋トレ場でのトレーニングを見る。ボールを使ったさまざまなメニューを喜熨斗コーチのもと黙々と続けていく。ときに苦痛に顔を歪めながら、息づかいを荒げながら、一瞬一瞬を120パーセントの力で埋めていくカズ。

今日初めて丸1日グアムでの練習を見たわけだが、とにかくその追い込み方は尋常ではなかった。夕方、昨日同様、ホテル内のカフェにパソコンを持ち寄り、遊ぶ。






 朝6時33分発の成田エクスプレスに乗り、成田へ。グアムに向かう。6日からグアムで自主トレに入っているカズの取材だ。

 ホテルに到着したときにきは、すでに、この日の練習は終了していて、サウナから出てきたカズらとホテル内のカフェでお茶をすることに。カズが滞在しているレジデンスは、ワイヤレスネットワーク外らしく、通信可能なホテル内でパソコンをいじりながらのよもやま話。

 夜、2度にわたってスコールにみまわれる。真冬の日本から来た身としては、この暑さが嬉しくもあり、しんどくもある。

 朝一番の便で広島に向かう。前夜、友人たちと飲んでしまったため、飛行機に乗った途端に爆睡した。本日は、またまた慈姑(くわい)の取材。広島県福山市は、慈姑生産日本一の街。くわい出荷組合長の案内のもと、慈姑田を見て回る。今日は初掘りの日なのだ。

 取材終了後、鞆の浦(とものうら)の「鴎風亭」に向かう。鞆(とも)を訪れるのは初めてだったが、素晴らしい土地。美しい景色を眺めながらの美味しいランチに「dancyu」の江部副編集長、小原カメラマンも大満足だった。

 夜は、福山出身のM嬢に勧められた「和処 なかくし」で食事。ここがまたまた大当たり。駅から離れているし、紹介でもない限り絶対に足を運ばない場所にある。やはり、勘も大切だけど、通の確かな情報も欠かせない。すべて美味しく、抜群に安く、若い板さんの感じもよかった。もし、こんな店が我が町にあれば、間違いなく常連になるところだ。天満屋の「倉甚」で練り物を買ってオマケにもらった茹で蝦蛄も嫌がることなく出してくれたし。気分よく店をあとにする。翌日は早朝から初出荷の取材があるため、街の探索はそこそこに、日付が替わる前にホテルに戻り着く。

 昨晩は、表参道「圓」で新潮社の佐藤朝信氏、初対面のエディター・森山敬子さん、ランダムハウス講談社の三枝美保さん、「週刊ポスト」の山内健太郎氏と宴。解散後またまた80年生まれ山内君、82年生まれ三枝嬢と3人でさらに語る。と言っても、この時間帯に話したことは、いつものようにほとんど覚えていない。三枝嬢のハッピーな話がなんとなく記憶にある程度。
 水分で重い体を引きずり、羽田近くの大師橋下の港へ。穴子漁師の安藤昌利さんの漁船に乗せてもらい、東京湾に出る。都内の漁師はもう本当に数えるぐらいしかいない。安藤さんは穴子一本の漁師で、江戸時代、いやもしかしたらそれ以前からこの東京湾(江戸湾)で代々漁を営んできた。羽田沖の穴子は人気で、鮨屋には欠かせないネタだ。もしかしたら、安藤さんの獲った穴子をどこかの店で食べたことがあるかもしれない。そういえば、前夜、山内君、三枝嬢と入った居酒屋で、「羽田沖穴子」と書かれた煮穴子があったので頼んでみた。しかし、歯応え、味からして、あれは絶対に羽田のものではない。おそらくは中国産の養殖穴子だ。表示違反である。

 羽田空港を海から見るのは初めてだ。アクアラインのちょうど真ん中あたりの漁場に着くと、280本もの筒を20メートル間隔で海中にぽんぽん落としていく。筒の中のエサはイカだ。

エンジンをかけたまま、ときどきハンドルを操舵しながら、筒を投げ込む作業を続ける。全部安藤さん一人だけやる。私は軽い2日酔い状態だが、気分は悪くない、どころか海風が気持ちいい。投げ入れた筒は、明日の朝、回収に来る。だいたい半分ぐらいの筒に穴子が入っているらしい。昔は、一本の筒に2本の穴子なんてこともあったというが、やはり獲れる数は減っているようだ。

そして、安藤さんの春の漁場は、まさに、いま拡張しようとしている羽田空港の滑走路の下あたりにあるのだという。滑走路が出来たら、お手上げとのこと。切実だ。それにしても東京湾、思っていたよりもスケールがでかかった。机上であれこれ考えすぎていたような気もする。やはり、現場に出ないとわからないことは多い。

今回のヨーロッパ内の総走行距離はなんと4200キロ。私の今年の「環境マイレージ」はこれによって使い果たしてしまった感じすらする。とにかく実によく耐えてくれたなあ、と思いつつ、ミラノ・マルペンサ空港のAVISの駐車場にオペルを滑り込ませると何やら白煙が上がっている。まさか、と思い降りてみると、煙は私のつかの間の愛車のマフラーから出ている。AVISの人々もすっとんできて、「煙は初めてか」と訊くので「もちちろん、いま初めて」と返す。さらに「このクルマはディーゼルだけど、ガソリンを入れ間違えたのではないか」と責められるが、私はガソリンスタンドでしつこいほど確認して入れているので間違えるわけがない。それでも先方は「メカニックに見てもらえば間違えたかどうかはわかるから」とほざいている。さらには、感じの悪い女の係員はクルマの傷を丹念に調べ出している。走行中に小石ぐらいは飛んだかもしれないけれど、どこにもぶつけてないので恐れることもない。私は、本当にギリギリまで頑張ってくれたこのオペル君の根性に感謝しつつも、疑惑の目で見続けるAVISの人々に怒りを覚えていた。「メカニックがガソリンをチェックするから」と帰り際にも念押しされる。まったく感じ悪いな。走行距離が多かったのは事実だけど、そっちの整備にも問題があるんじゃないの、と愚痴りたくなる。実は、これまでもAVISとはあまり相性がよくなくて、モナコの近くでマフラーが落ちてひどい目に遭ったり、電動ガラスがしまらなくなって雨にさらされたりと他のレンタカー会社では味わったことのないようなことが何回か起きていたのである。そして、今回は私が悪者である。畜生とほざきながら、重い荷物をガラガラと引きながら空港内に戻ろうとしたとき、はっと思いついた。そうだ、最後に満タンにしたときの領収書があるのではないか、あれには、入れたガソリン名が書いてあるのではないか、と。私は恐る恐る財布から領収書を取り出した。というのも、係員から「ガソリン間違えたでしょ」と散々言われ、少し自信が揺らいでもいたのだ。そして取り出した領収書には…はっきりと「Diesel」と書いてあったのである。私は思わずその係員の顔にその領収書をつきつけていた。半ばガソリン間違いを確信していた係員たちは少々がっかりしたような顔をして、事実を認めざるを得なかった。女の係員なんてまさかという感じですっとんで来て領収書を見ていたからな。それにしても、もし、クルマが何キロか手前で止まってしまってたらどうなっていたのだろう。果たして飛行機に間に合ったかどうかも怪しい。本当に紙一重の結末でした。

 朝、トレヴィーゾの同じホテルに泊まっている日本人女性と言葉を交わす。2部屋しかないホテルで、となりは映像関係の事務所になっている。その映像関係の事務所に研修に来ている女性で、イタリア事情などを聞く。イタリア語ペラペラ。うらやましい。私はちゃんと学んでないからな。
 クルマでトレヴィーゾから60キロほど北に行ったBellunoという小さな街に向かう。昼食を「La Buca」というミシュランには載っていない店でとる。店内は地元の人でいっぱいだ。食べたのは、伊勢エビのフェットチーネだったが、かなりうまかった。広場でたまたまワイアレスのインターネットに接続でき、ようやくブログを更新する。1時間2.95ユーロ。私はこれまでワイアレスをまったく使ったことがなかったのだが、これからはときどき使うことになりそう。

 トレビーゾ市内のインターネットカフェに行くも、私のパソコンをつなぐことはできず。ならば、と外に出て近くのオフィスのワイアレスに接続するもうまくいかない。本日は猛烈な暑さのあと、見たこともないような一瞬の激しい嵐がこの北イタリアの街を駆け抜けた。体感気温も一気に10度落ちたような感じ。子どもたちが「テンペストだ」と騒ぐぐらいのpazzo tempo。
 夜、クルマで市内に出る。というのも、昨日は飲むことを考えて、タクシーで移動したのだが、帰りのタクシーがまったくつかまらず、苦労したのだ。ミシュランに出ていたトラットリアでまたまたボンゴレを食う。味もサービスもきわめて凡庸。本当にミシュランの基準もいい加減だな。あくまでも参考程度に、ということなのだろう。

 畜養会社所有(社長所有?)の高速ボートで強烈な朝の日差しを浴びながら沖に向かう。小さな島が点在する中を走り抜けると
直径50メートルの大きなケージが目の前に現れる。

(ケージの中央で撒かれているのはエサとなるイワシ)
目をこらして見るとケージの中には何十何百というマグロが回遊している。地中海や大西洋で捕獲したマグロを大きな網に入れたままここアドリア海まで運んできたのである。ここで畜養された1500トンのマグロは、すべて日本に輸出される。日本人のマグロへの飽くなき食欲がこうした巨大産業を生み出しているわけである。船上でテクニカルディレクターにケージの状態などについて尋ねる。
 昼前、クロアチアを出、スロベニアを抜けて再びイタリアへと戻ってくる。やらなければならないことがいくつかあり、本当はすぐに帰国したかったのだが、帰国便がうまくとれず、結局、このあと5泊もイタリアにいることになってしまった。今回滞在するのは、トレヴィーゾというヴェネツィア近くの街。
街の中心から少し離れたホテルにいったんクルマを入れ、夕食をとるため街に出る。入ったのは、「Antico Torre 」という海ものを中心に出すレストラン。フランス産の生牡蠣、レモンとオリーブオイルだけで食べる小エビ、そして、いちかばちかで頼んだボンゴレのスパゲッティと、どれもこれも抜群に美味しい。大当たりである。カメリエーレはオーナーとおぼしき老紳士。この人がまた味があって素敵なのだが、何故かもう1人のフロアーを任されている女性(おそらくは娘さん)と折り合いが悪く、互いが互いに苛立っているのが手に取るようにわかる。こうした光景はよく日本でもみかける。厨房の中がギスギスしているとこっちも妙に落ち着かない。料理人もカメリエーレもわずか数時間限りの客前パフォーマンスなんだから、我慢してほしいよな。
 ここ数日の長距離移動や取材で、体は疲れ切っている。しかし、本夜からこのあと数日は義務はなし。自由に時間が使える。実に気楽である。