この1週間、それこそ原稿用紙にすれば数百枚という言葉が私のノートに集積された。この言葉を生かし、ちゃんと届けるために、これからちびちびと書き始めるわけだ。その作業は、楽しくもあり、難しくもあり。でも、響く言葉は書いていて嫌になることはない。表現し切れないもどかしさがあるだけで。

庄内の老師曰く
「毎日過ぎたことばかり言ってもしょうがない。いまは、朝飛び立つフクロウがいるんだ。朝飛び立つフクロウには無謀と夢がある。先のことはわからねえんだから」

脳神経外科医曰く
「脳って何かっていうと、自分の思考と現実を結びつけているもの、という発想をしてもらった方がいい。未来永劫、死ぬまでそうだけど、場合によっては死んでからも、思考というものは必ず現実化します」

農学者曰く
「在来作物を突き詰めていくと、要するに、つながりである、という結論が見えてきた。農家が代々伝えてきたつながり、地域のつながり、世代を超えたつながり、空間時間のつながりなんです。そして、それをいま人々が求めている」

そして、カズに過去のベストゲームについて尋ねたときの答え。
「開幕前に、これから戦おうとする僕に、超振り返りの話をさせないでください。引退した人に訊きに行ってください」
…ごもっともです。

というわけで、私に響いた言葉をしばしああだこうだと編み続けることにします。
2010-03-05 12:06 この記事だけ表示
 脳神経外科医の原稿をまとめ、実家に立ち寄り、選手へのインタビューをし、麻布十番や赤坂を歩き周り、新分野の企画の打ち合わせに臨み、とやっていたら、あっという間に2月が終わっていた。48時間(72時間)短い分、さらに速かったような。気のせいか。今週は長短いくつかの締め切りが重なっているけれど、なぜかモチベーションが落ちてない。書きたい気分なのかもしれない。単行本の締め切りがある3月末に向かって軽やかに進んでいきたい。
 84年に創刊された自動車雑誌「NAVI」が2月末の号で休刊した。私、この雑誌を一時期かなり熱心に読んでいた。発刊当時はコンテンツ、デザインともに本当に衝撃的で、もう隅から隅まで目を通していた。実に残念、と言っても、私自身いつしか買わなくなっていたのだから、偉そうなことは言えない。80年代半ばの時点では、自動車のあり方、とりまく環境がこんなふうに劇的に変わるとは思ってもみなかった。「NAVI」が素敵だったのは、クルマを愛しつつも、「社会におけるクルマのあり方」という視点を失わなかったところ。最終号を手にして、最後までこの姿勢は貫かれていたんだ、と改めて確認した。いい雑誌でした。
「芸術新潮」は、長谷川等伯の特集。伊勢神宮の森の小特集もあったのでつい買ってしまった。ページをめくるたびに雑誌はやっぱり楽しいな、と思うのだが、いまや人々からは、雑誌を買う習慣が失われつつある。電車の中を見回しても、雑誌を読んでいる人は以前に比べてずっと少なくなっている気がするし(多くの人は真剣な面持ちで携帯をいじっているわけで)。…「芸術新潮」もいつしか消えてしまうのだろうか。
 美味しかった店2軒。中野Pに導かれ行った銀座「座屋」、ふと立ち寄った麻布十番「カラペティバトゥバ」(帰りがけに次回も予約した)。
 閉塞状況だと喧伝される日本ではありますが、そんな状況を打破し、根本から改革しようとしている粋な大人たちも少なからずいるわけで、私はたぶん、そんな人たちを描いていきたいのだと3月を迎えて改めて思っております。情けない大人たちがあまりにも多すぎるから。
2010-03-02 14:17 この記事だけ表示
 週末、横浜FCのキャンプ地宮崎へ。トレーニング、練習試合を見る。17年にわたって内外の街を仲間と楽しく旅してこられたのも、カズがケガもせずサッカーを続けてきたからこそ。仲間とともにカズが丁寧に入れてくれたエスプレッソをご馳走になる。

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2010-02-15 00:00 この記事だけ表示
 久しぶりに目の覚めるような人物と対談企画でお会いした。佐渡島庸平氏推薦の脳外科医(彼はまだほとんどメディアには登場していない)。かつてこれほどの濃度の話を続けて3時間も聞いたことがあっただろうか。医師としてのスキル、志の高さ、頭の回転の速さ、あらゆるシステムに対する慧眼、理路整然とした語り口、人間に対する洞察力と愛情、理想だけに溺れぬ経営感覚、そして未知を探ろうとする果てしない好奇心…。その圧倒的なエネルギーにはひれ伏すしかなかった。医師の対談相手もまた爆発的なパワーの持ち主で、私たちのいたあの時あの場所がこの日、日本で最もエネルギーのスパークした空間になっていたはずだ。知と熱だけでなく、神秘性という物語を持ち合わせていることもひどく魅力的だった。爆発的なパワーの持ち主は、脳外科医の話に引き摺り込まれ、後ろのアポイントメントを躊躇なく放り投げてしまった。それぐらい凄かったのである。これ、間違いなく面白い対談本になります。
2010-02-11 16:22 この記事だけ表示
 場合によっては羽田に引き返すか、秋田空港に着陸するかもしれない、という条件付きで羽田空港をあとにしたときから、雪まみれの旅の方向性は決まっていたのだろう。思ったほど揺れることもなく庄内空港に到着すると、そこは一面の雪景色。新潮社の秋山洋也氏と山形大学農学部へと向かう。外気温は零度ぐらいだろうか。午後2時前に研究室に入り、江頭宏昌準教授に長いインタビュー。在来野菜によって地方をどう「つなげて」いくかを聞く。ホテルにチェックインしたのち、電車で酒田を目指そうとするも、新潟が大雪のため列車は大幅な遅延、30分以上駅で待つことに。待合室が地元の高校生たちで溢れかえる。ようやく酒田の「鈴政」に辿り着いたものの、長い間海が時化ていてやはり地物はほとんど入っていないとのことで、ネタケースにも夏のような活気がない。でも、無理矢理築地から引っ張ってくるよりは、地物を尊重し、「時化でネタがない」と言われる方が気分がいい。少ないながらも、地物の生タコやタラ、ノドグロなどをいただく。鶴岡に戻れなくなると困るので、早々に切り上げ、昭和通りのスナックで少し飲んで、ホテルに戻る。
 翌日の午後、吹雪の中、余目経由で狩川駅に向かう。
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↑ここは有人駅で雪もまだ浅かったのだが…

最早、電車が定時に走るものだという気がしない。遅れは当たり前である。逆にこんな激しい雪の中でも、交通機関が機能しているのが不思議なくらいだ。約束の時間を大幅に過ぎて、山澤清氏の研究所に到着。庄内を訪ねるとどうしてもここに寄らずにはいられない。一個人がこれだけの研究所を回していることだけで、感動的である。以前にも書いたけれど、山澤さんは実に多様な商品を開発していて、途上だけれども世間をあっと言わすような研究も数多く抱えている。最近ではついに大手広告代理店も山澤さんに目をつけ、やってきたらしい。天花粉、和辛子などの開発研究の進捗具合を2時間以上にわたってうかがい、裏の実験場で川海苔の再生実験の様子などを見せていただいて辞去。
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キカラスウリの実

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(ホンモノの)和辛子の種

ここ陸羽西線では1時間半に一本程度しか電車は走っていないので、タイミングを逃すとえらいことになる。しかも、雪は一層ひどくなり、ほぼ吹雪と言ってもさし支えないような降りっぷりである。野ざらしのプラットホームには雪が積もり、もはや通路との境も見えない。外には1分と立っていられないような状況だから、駅の待合室で待つしかない。問題は、電車が入ってきたときにホームまで行くことができるかどうかだった。無人駅の上、遅延を知らせる電光掲示もない。駅前にはもちろんタクシーもいない。乗客は私たち2人だけ。つまり、電車を逃したら我々2人は、1時間半に渡って、またこの暖房もない無人駅にとどまらなければならないのだ。耳をすませ、いつ来るともわからぬ電車の到着を待つ。定刻から10数分が過ぎたとき、電車が滑り込んできた。転ばぬように細心の注意を払いながら全力で走る我々。いや、雪国で暮らすということは、こういう不便さの連続なのだと思った。結局、この日、庄内に戻ってくるはずだったアル・ケッチァーノの奥田さんは、飛行機が欠航し、帰れずだったが、
私たちは、格段に腕を上げていた土田学シェフの料理を堪能したのだった。DSC00049.JPG
この日、日本海側は、26年ぶりの大雪だったらしい。地元の人も音を上げるぐらいの雪だったのだ。
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 雪の洗礼は翌日も続き、私たちは、予定していた飛行機をキャンセルし、庄内から山形までバスで移動(このバスがまた大問題だったのだけれど、これを書くと膨大な量になってしまうので割愛)、新幹線に乗って東京に戻ってきたのだった。新宿駅からタクシーに乗ったときの感覚は実に奇妙だった。スリップして交差点に突っ込みそうになるクルマをコントロールすることもなく、白くない道をごく当たり前に飛ばしていくクルマの群れがすごく不思議に映ったのである。
2010-02-08 00:00 この記事だけ表示